事件の捜査は難航
別の地元関係者はこうも指摘する。
「姑の愛子さんは、息子の茂さんに、秋子さんのことを、あの嫁は財産目当てだから、子どもは作らなくていい、と何度も言っていた」
つまり、詩織の手記に書かれていたような95年12月27日の夜の家族睦まじい団欒や洗濯に関するエピソードのような嫁と姑の温かい交流はなかったのではないか、と周囲の人たちは証言するのだ。さらに、鈴木家では、財産分与の話で親戚や兄弟でもめていたという噂もある。そうした事も踏まえ、ある捜査関係者は「あくまで個人的推測」と断ったうえで、次のように語る。
「偶然殺したというより、最初から明確な意思をもって夫妻を殺そうとした事件であったと思う」
しかし簡単に犯人が割り出せると思っていた事件は、前述したように、現場がメチャクチャで具体的証拠も見つからずに難航、そうこうする内に第2の事件が発生することになる。
その前に、当時の詩織の手記に戻ろう。
心に傷跡を残した放火殺人事件
〈火事の日のことで私が覚えていることといえば、火が収まって大分たってから、茂さんの親戚のコタツに座っていたことです。コタツはこのうえなく暖かでした。そこはまるで小さな温室のようで、ひいおばあちゃんが私を気遣って温かいお茶をいれてくれました。しかし、誰が私を親戚の家まで連れていってくれたのでしょう。歩いていったのか車でいったのか、パジャマを着ていたか、あるいは違う服に着替えていたのでしょうか、まったく覚えていません。
他に覚えていることといえば警察署の冷たい室内での刑事とのやりとりです。刑事は私の手をつかみ、手のひらから甲、手首、首、顔、足をたんねんに調べました。疑わしい外傷やスス、火ぶくれのあとがないかを調べているようでした。もちろん私に外傷などありませんでしたが、この取調べには強いショックを受けました。ともかく28日はまさに茫然自失の無感覚のなかで過ぎ去っていきました。時間に対する感覚もなく、ただ、とてつもなく、長い、長い時間でした。
当時私は22歳。まだ日本での生活は始まったばかり。そんな中で、あの出来事は悲しく、むごたらしく、心を引き裂くような苦しい災難でした。パパとママの家はすべて真っ黒に焼け落ち、まるでセイロの蓋が陰気で恐ろしい墓穴にかぶさっているような感じでした。漂ってくる異様な臭いに、骨に染み入るような寒気を感じたものです。この殺人放火事件については、私は断じて潔白ですが、心の中には大きな傷跡が残ったのです。〉
確かにこの事件以降、鈴木夫婦の関係は微妙に変化してゆく。