――インタビューをしたことで、映画が再び動き始めたわけですね。
小森 阿部さんは当初、これは陸前高田災害FMの記録で、自分が主役の映画になるとは考えていなかったと思います。私自身、こういう映画になるとは想像していなかったし。やっぱり2018年にインタビューをしたことが大きかったんですね。ラジオ・パーソナリティとしての阿部さんの仕事は、ただ内容や情報を伝えたいというだけでなく、生活音や環境音とか、普通ならノイズになるような音をこそ聴かせたいという気持ちが強かったと思うんです。祭の音だけでも聴いてもらいたいとずっと流していた番組だったり、黙祷放送に関しても、録音ではなく生放送で、音だけでどう伝えるかという意図が強くある放送だった。私自身もそこに惹かれていたんですけど、そういう思いって収録場面を撮っているだけではなかなか伝わらない。阿部さんがどんな思いで放送していたのかを語る言葉を撮らなければ、と思うようになったんです。
そこに人がいるんだ、ということがあの時期すごく重要だった
――七夕祭りのシーンは映画を見ていてもすごいなと感じました。取材をする横で周囲の音がずっと鳴っていて。ああいうノイズも自然音も全部拾ってしまうのがこの番組だったんだろうなということが伝わってきました。
小森 番組では12時間くらい生放送を続けていたんです。ちょっと考えられないですよね(笑)。でもこれが嵩上げ前の元々の地面でできる本当に最後のお祭りだからという思いがあってこその企画で、番組を聞いている人たちも、ラジオから聞こえてくるいろんな音に安心していた部分があったんじゃないでしょうか。阿部さんはラジオを聴いている人に「あなたは普通のパーソナリティみたいにぺらぺらぺらっと喋るんじゃなくて、つっかえたり間違えたりするからいいんだよ」と言われたそうです。そこに人がいるんだ、ということがあの時期すごく重要だったんですよね。どこに誰が生きているのかわからない、という状況が続いていたなかで、この町にいる人たちの声や生活のいろんな音が聞こえてきて、一人じゃないなと思える。阿部さんがつくっていたのは、そういう番組だったんだと思います。