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――阿部さんはラジオパーソナリティの経験はなかったんですよね。

小森 そうですね。震災前は夫婦で和食屋さんを営まれていたんですが、店が津波で流されてしまい、旦那さんは内陸の方で働かれて、阿部さんは高田に残って仕事を探していたところ、災害FMの募集がありラジオの仕事を始めたそうです。

©KOMORI HARUKA

――阿部さんの、対話をしているうちにいつのまにか相手の語りを引き出していく姿を見て、人の話を聞くってこういうことだよな、とハッとしました。小森さんもやはり阿部さんの「聞く」姿勢に惹かれたのでしょうか。

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小森 そこに惹かれたというのはたしかにありました。あの頃、震災によって失われたものはあまりにも多く、だから阿部さんは人々の語りのなかにある町の記憶やそこにいた人々の話を聞きたかったんじゃないでしょうか。町の人たちもまたそれを求めていたはずです。

震災の記憶、復興で変わる町…その間をつなぎ止めていたもの

――映画では、FM局での仕事風景と、数年後に阿部さんが当時のことを振り返るインタビュー映像とが一緒に構成されています。これは、小森さんが再び阿部さんにお話を聞きに陸前高田を訪ねたときの映像ですよね。

©KOMORI HARUKA

小森 はい。2015年に阿部さんはパーソナリティの職を離れられたんですが、それは私にとっても突然のことで、作品に仕上げることはほぼ諦めてしまいました。まだ全然撮れていないという思いが大きくて。気持ちが変わってきたのは、3年程経って和食屋「味彩」を再開されてから。思い返してみると、阿部さんがパーソナリティをしていたのは、震災から少し時間が経った一番曖昧な時期でした。震災の記憶がまだ強く残っている一方で、嵩上げ工事が行われ、復興に向かって町がどんどん変わっていく。その間をつなぎ止めていたのが陸前高田災害FMだった。あのときあの番組があったから、みんなも新しい町での暮らしに向かっていけたのだと改めて思いました。そういうことを私自身も忘れてしまいそうな気がして、もう一度当時の話を聞きたい、嵩上げした土地で阿部さんが始めたお店で話を聞きたいと思うようになり、2018年に改めてインタビューをしました。それを機に以前の素材を見直すことができ、阿部さんの言葉と一緒に編集していきました。