亡くなった人を思うそれぞれの場所
――映画のタイトル『空に聞く』の「空」には「亡くなられた方たちのいる空(sky)」と「記憶が立ち上がっている空(air)」両方の意味がある、とプレス資料に書かれていましたが、これも阿部さんの少し斜め上を眺めるような視線から生まれた考えだったんでしょうか。
小森 阿部さん自身もですが、阿部さんが話を聞きにいく陸前高田のみなさんもまたそうだったんです。みなさん、どこか少し上を見上げてそこに見えない町を思い浮かべていて。阿部さんも、みんなが見ている町を見てみたい、その声を聞きたい、と話していました。
町の人たちが亡くなった人を思う場所って人それぞれなのですが、以前は地面の方に強くあったように思います。最後に彼らが見つかった場所に花を手向けたり、元の町が残った場所に祭壇を作ったりしていた。その場所(地面)が嵩上げ工事で埋まってしまう辛さが自分にも強くありました。でもあるとき阿部さんが『嵩上げした地面に立ったら空にいる人たちに近づけるかもしれない。そう考えたらここで暮らしていける気がする』と話されて、その言葉がすごく印象に残りました。たとえ地面が無くなっても、亡くなった人たちも一緒に町の存在としてあり続ける、そう思えるために空があったんだなって。
撮影した素材を見直したら、亡くなった人の数だけ凧を空に上げるシーンとか、山車の上におかえりって書いているという話とかがちゃんと映っていて、ああそうか、阿部さんの空に対する思いってその当時からずっとあったんだな、と気づきました。そこから、空に向けての阿部さんの弔いの気持ちをちゃんと見つけたい、映像として残しておきたいと思うようになりました。嵩上げ工事についてはどう受け止めていいかわからないままです。でも時間が経って人々の思いの向く方向が変化したこと、亡くなった人を思う場所が地面から空に移っていったこと、それを作品にしたかったんです。
――それこそ前作『息の跡』はまさに地面の映画でした。
小森 当時は地面を奪われることに対して自分自身がすごく憤っていたし、それに抵抗したいという思いがあって『息の跡』という映画をつくったようなところがありました。でも嵩上げ工事によって失われてしまったと思っていたり、これ以上何を撮ったらいいのかわからないと私が思っていた時期にも、この新しい地面で暮らしていこうとしている人たちがいたんですよね。工事の結果を受け入れられない気持ちとはまた別に、ここで暮らしていく人たちが選択したことを肯定したい、そういう意識に、阿部さんの言葉によって私自身が変わってきた。だから気持ちとしては『空に聞く』は『息の跡』のときとはだいぶ違いますね。
――でもそういう変化もまた『息の跡』を作ったからこそですよね。
小森 そうですね。それはたしかにそうだと思います。
小森はるか Komori Haruka
1989年静岡県生まれ。2012年から東北に拠点を移し、画家で作家の瀬尾夏美と共に制作活動を続ける。2017年、長編デビュー作『息の跡』が劇場公開され大きな話題を呼んだ。
INFORMATION
映画『空に聞く』
11月21日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開
http://soranikiku.com/