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「文章を書く力を発揮すれば大成する可能性あり」

 以下、ふたたび松永弁護団による陳述内容だ。

〈C高校時代

 ア 被告人松永は、不純異性交遊が発覚したことにより、3学年からC高校に転校となったが、転校後も学級委員(風紀)を担当し、成績評価は2ないし3と芳しくなかったものの(席次は18人中12番)、授業はまじめに受けており、教師や他の生徒と問題を起こすこともなく、持ち前の明るい性格で周囲への気配りもでき周りの生徒とも仲良くしていた。担任の先生から見ても、被告人松永は頭の回転が速く弁が立ち、文章を書かせたら他の生徒と比較にならないほどの出来栄えであり(検甲486号証2ページ)、指導要録には、協力性がAとされ、その他はB評価であったところ、所見欄に「最後は大変頑張った。根気強さに少々欠ける面あり。自分の能力(文章を書く力)を最大限に発揮すれば大成する可能性あり」と記載された(検甲476号証)。

 

 イ 被告人松永は、高3のとき誕生日を迎えると同時に自動車免許を取得し、父に、「友達が持っているから、自分も日産ローレルの新車がほしい。」と突然言い出し、当初反対であった父も根負けして、被告人松永にローンで普通乗用自動車を買い与えている(検甲493号証15ページ)。

 

 ウ 被告人松永は、昭和55年3月、C高校を卒業して福岡市内の菓子店に入社したが、「会社は同じことの繰り返しでつまらん。人に使われているようじゃ金儲けはできない。」と考え、勤め始めてから10日ほどで退職した。〉

(※写真はイメージ)©️iStock.com

「女をカネづると思わな」の影響をモロに受け

 中学卒業後、松永が最初に進学した福岡県立M高校には、後に共犯者となる緒方純子も通っていたが、軟派な松永と真面目な純子との間に接点は見られない。高校に入った松永は、持ち前の甘いルックスと不良っぽい言動が受けて、急激にモテるようになったという。

 松永と小中学校の同級生だったCさんは、中学時代から松永の家に遊びに行くようになり、それは別々の高校に通っていた高校時代も続いていた。Cさんは高校時代の松永について次のように語る。

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「あいつは本当に口が達者やったと。女の子にはマメに連絡を取るし、家に連れて来るまでのアプローチが上手いったい。それで同級生やら年下の女の子を部屋に連れ込んでは、見境なくコマしよった」

(※写真はイメージ)©️iStock.com

 両親があまり干渉しない松永の実家は、女性を連れ込んでも注意されないため、友人たちのたまり場になっていたという。そこでCさんは、以下のことを松永に話した記憶があると話す。

「あの当時、俺がよくいきがって『女を人と思っちゃいけん。女をカネづると思わな』って言いよったけんがくさ、その影響ばモロに受けて、松永は女に飯代ば払わせることにプライド賭けとったね。あと、あいつは極端にキレイな女の子には行かんったい。それよりはあんまりモテんで、自分に簡単になびくような子にばっか声をかけよったと」