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松永による布団訪問販売会社の実態とは

 松永弁護団による冒頭陳述では、この時期のことについて、次のように説明している。

〈当初は、被告人松永の父が筑豊地方に多数の顧客を有していたことなどもあって、1組35万円の布団を月に30組ほど売り上げて毎月1000万円近くの利益を上げ、その6、7割を純利益としており、1、2年は順調に売上げを伸ばしていった(検甲494号証6ページ)。被告人松永は、信販会社の担当者を自宅に食事に招待するなど接待して、「クレジットでなければ売れないから今後ともよろしくお願いします。」と頼みつつ、そうした酒席で周囲の者に、「今は小さな布団屋だけど、そのうち必ず福岡一になってみせる。」などと吹聴していた(検甲435号証10ページ)。〉

(※写真はイメージ)©️iStock.com

 一方で、検察側が冒頭陳述ならびにその後の補足説明によって明かした“ワールドの経営の実態”は異なっている。以下、福岡地裁小倉支部での公判の判決文に取り上げられた〈松永によるワールドの経営とその実態〉という箇所から抜粋する。

〈松永は、従業員らに指示し、親戚や知人に電話をして面会し、「会社が潰れそうなので助けてくれ。」などと頼み込んで泣き落としたり、これを断られると因縁を付けて脅したりして、高価な布団を強引に売り付けさせた。松永は、このような強引な方法で、従業員の親戚や知人等に対し、代金回収の見込みの有無に関わらず高額な寝具を購入させて販売実績を伸ばし、設立後1、2年間は毎月1000万円くらいを売り上げた。しかし、寝具を購入させる親戚や知人等が乏しくなり販売実績が上がらなくなったことや、顧客のローン又は立替金の支払いが滞り信販会社から加盟店契約を解除されたことなどから、昭和59年(84年)ころからワールドの経営は傾いた。〉

(※写真はイメージ)©️iStock.com

担当者の弱みをビデオに撮影して……

 同判決文では、松永が信販会社の担当者に対して行っていた所業についても触れられている。

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〈また、松永は、ワールドと加盟店契約を締結していた信販会社の柳川営業センター所長であった××(実名)を、頻繁にワールドの事務所に呼び付けて接待し、昼間から飲酒させてその姿を写真やビデオに撮影して弱みを握り、××に対し、「写真を本社に送る。」などと脅した上、同信販会社がワールドの顧客の信用審査を甘くしたりワールド関係の信販契約の決裁を早くしたりするように働きかけた。〉

 この両者の主張に対し、福岡地裁小倉支部は、判決文の〈量刑の理由〉のなかで、ワールドについて〈強引な商法で一時は売り上げが伸びたが、行き詰まり、昭和59年ころから資金繰りが苦しくなった〉との表現で、後者の検察側主張を支持している。

 兎にも角にも、社会人となり独立した松永の傍若無人な性格は、このワールドの設立によって、より顕在化することになる。