転校先の高校で本当の“デビュー”
先に出てきた通り、松永は高校2年のときに、不純異性交遊の咎で退学処分となり、3年から久留米市にある私立C高校に編入した。
C高校に入ってからの松永は、それまで以上に異性からモテるようになり、女出入りが激しくなった。また、自分が暴力団組員と繋がりがあるかのように装い、「俺に手を出すと酷い目に遭う」と口にして、同級生に信じさせていた。前出のCさんは語る。
「その前のM高校のときは、小中学校の同級生やら地元の人間がおったから、ハッタリばかませんやったと。だいたい子どもんときにどういう人間やったか知られとうけん、そこまでモテるいうこともなかった。やけどC高校は、あいつの過去を知っとお地元の人間がおらんし、あと見た目はあの通り良かったやろ。それでやんちゃなイメージを出して、急にモテるごとなったとくさ。それからが本当の“デビュー”いう感じやったわけよ。後になって、あいつはいろんな女を食いものにしてカネば得とろうが。そうするとが手っ取り早いて思うたとは、その頃の経験があったからやろうね」
その昔、松永の自宅のある柳川市に隣接する町で暴走族のメンバーだったEさんも、C高校時代の松永を知るひとりだ。Eさんは当時を振り返る。
「久留米の駅前とかを通りかかると、向こうから挨拶してくるんよ。やけん、こっちも悪い気はせんやろ。いつの間にか顔見知りになっとったね。まあ、俺らと仲良うしとることで、まわりに対して、強がりよったっちゃない? あの当時、俺らは佐賀駅のそばにあるディスコにけっこう集まりよったとやけど、あいつはそこにもよう顔ば出しよったもん」
1980年3月にC高校を卒業後、前出の福岡市内にある菓子店をすぐに退職した松永は、親戚の経営する布団販売店で働くなどしたが、そこも短期間で退職。父親が経営していた布団訪問販売業を手伝うようになる。
翌81年5月頃、松永はみずからが実質的経営者となる布団訪問販売会社「ワールド」を設立。高校時代の同級生だった日渡恵一さん(仮名)や坂田昇さん(仮名)などを従業員として、布団の訪問販売を始めた。