原監督は常日頃から、
「誰となら失敗しても悔いを残さないか。またそう思えるほどの信頼関係はどこから生まれるのか。それは日頃からの練習や生活態度、野球に取り組む姿勢に表れるものであって、指導者はその部分を逃さず見ていなければならない」
と話している。練習を重ねていけば、技術はあとからついてくる。だが、いかなる状況においてもめげない「心の強さ」は、本人が意識しない限りついてこない。そうした心の強さを持っている選手こそが、一流の階段を駆け上がっていけるということを原監督は知っているのである。
試合の終盤で盗塁を仕掛ける根拠とは
原監督の戦術について考えてみたい。彼は試合の終盤で盗塁を仕掛けてくることが多いが、その背景にはこんなエピソードがあった。
今から46年前、東海大相模高の三塁手・原辰徳は、1年生ながらレギュラーとして夏の甲子園に出場していた。このときの対戦相手は、この年の高校球界でビッグスリーと騒がれ、のちに阪神で私と同じ釜の飯を食うことになる、工藤一彦擁する土浦日大だった。
試合は1対2で東海大相模がリードされたまま、9回裏2アウト一塁という場面になった。するとこのとき、父の原貢監督から「走れ」のサインが出た。負けたら終わりという切羽詰まった状況での盗塁のサインである。セオリーとは明らかに異なるサインに、選手全員が「ええー!?」と仰天したそうだ。
猛烈なプレッシャーがかかる中だったが、一塁ランナーは二塁を陥れて盗塁に成功した。これに続いたバッターがセンター前にタイムリーヒットを放って同点にして、試合を振り出しに戻したのだ。結果、延長戦となって以後、東海大相模が16回裏に見事、サヨナラ勝ちを収めた。
このときの勝利に関して原監督は、「盗塁という作戦の威力を知ったことが大きかった」と述懐している。本書の第2章で触れた、広島のスカウト統括部長の苑田さんの弟も「原貢さんの野球は終盤に逆転が多い」と話していたが、その裏にはこうした戦術を用いて、形勢逆転する試合が多かったからなのだろう。
今から12年前の東京ドームでの楽天戦。4対2で楽天がリードしたまま9回2アウト一塁という場面で、原監督はランナーの矢野謙次に対して盗塁のサインを出したものの、二塁で憤死して試合終了となったことがあった。これに対して、当時の楽天監督だった野村さんは、こう語っていた。
「1点差ならわからないでもないが、矢野が勝手に走ったんじゃないか。普通は監督は走らせないからな」