Q1:「男女の社会的な役割分担に差がない今、男子校教育は時代遅れなのでは」という疑問が出ております。時代遅れにならないために、どう指導されていますか。
麻布(平秀明校長):
男子校教育が時代遅れであるという認識はもっておりません。
男女は平等で同権ではあるけれど、同じではありません。戦前は中等教育から男女別学であったものが、戦後の教育改革により公立校を中心に男女共学へと大きな変更がなされました。
本校は創立以来の男子校を継続していますが、それは思春期において男女別学に教育上の効果があると考えているからです。10代前半の男女を比べると、女子の方が男子よりも身体的にも精神的にも成長が早く、必ずしも同等の教育が双方にメリットがあるとは限りません。私立を中心に男子校、女子校の別学があるのはそのことが背景にあるからだと思います。
特に、男子の脳は関心事には素晴らしい集中力を発揮します。男子校においては、教科教育においてはもちろんですが、一般的には変な趣味、オタクと言われるような嗜好に関しても隠したり、恥ずかしがったりすることなく没頭したり、友人と語らったりすることができます。異性の目を気にすることがないので、無理に男らしさを求められることなく、素のままの自分を出せます。
別学では、同世代の異性が学校生活の中にいないことによるデメリット、例えば、異性の考え方や感性を直に看取できないことや、長所や短所も含めた等身大の異性を知らないことなどが挙げられます。男女共同参画社会となっている現代において、将来、社会に出たときに異なる性に対してもきちんと向き合うことが出来るよう、むしろ別学の学校においてこそ様々な工夫が行われているのではないかと思います。
例えば本校では、二十数年前に初めて家庭科を導入して以降、他教科の教員も物心両面で大いにサポートしました。また、家庭生活上の技術の習得に甘んじることなく、「生活者の視点に立って、生活に根ざしたものの見方や、他者への思いやり、関わり合いを身近なところから学んでほしい」との願いから、異性だけではなく、障害者、高齢者、幼児など社会的な弱者に対してどのように接する必要があるのかなど、車椅子体験や幼稚園実習、ユニバーサルデザインなどの学習により多様な人々からなる社会を広い視点で捉えられるようにしています。
そのような取り組みを行うなかで、これまでに自己の性に疑問を持ち、カミングアウトをして、スカートをはいて登校する生徒などもいましたが、周りの生徒も教職員もごく普通のこととして受け入れています。
開成(野水勉校長):
三十年程前までは、男性教員だけでありましたが、現在では、女性教員も増えています。また、他校との交流も、部活動・課外活動等で実施されることが増しています。教員・生徒ともに、家庭や職場や社会の中で、性差について考える機会が増えており、今後もそのような機会を積極的に模索していきたいと思っています。
時代との関係については、「男女の社会的役割分担」の問題に限らず、「属性による先入観」にとらわれることなく、多様性を認め合う社会に貢献できるような人材に育つよう、各教員が、行事・生活指導・授業など、具体的な場面場面に応じて、問題提起しつつ、生徒とともに考えるような風土を大切にしています。
共学校では、異性の存在があることによって、自らが成長するきっかけとなるような機会も多々あると思います。残念ながら、別学の本校では、そのような機会が少なくなってしまいますが、一方で、男子校では、女子校同様、日常空間に同世代の異性の目がないことによって、「男らしさ」「女らしさ」という二項対立的な考えにとらわれることなく、「自分らしさ」を探すことができるという可能性も、比較的にあるかもしれません。
本校でも、世間一般の出来合いの「男らしさ」にとらわれることなく、さまざまな分野で個性豊かに活躍している生徒も大勢おり、そのような多様性を大切にしていきたいと思います。
武蔵(杉山剛士校長):
「男子校教育は時代遅れなのでは」というご指摘ですが、本校は2022年に創立100周年を迎えるように、これまで生徒・保護者のご支持をいただき、長い歴史と伝統を積み重ねてきたことには一定の理由があると認識しています。
小学校を終えたあとの多感な成長過程において、異性の目を気にすることなく、失敗を恐れずに、試行錯誤が自由にできる時間・空間というのは、私も本校の卒業生でありますが、選択肢の一つとしてあってもよいのではないかと思っています。
ただし、当然、生徒たちは各方面でのリーダーとして活躍することが期待されるわけですから、社会の中における男女の役割について差別的な認識を持たないように、また社会において男女共同参画が一層進むように指導しているところです。