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「元気でね、という言葉を聞くと、長いお別れが来る」 “学校犬”は生徒たちを見つめ続けた

著者は語る 『犬がいた季節』(伊吹有喜 著)

『犬がいた季節』(伊吹有喜 著)双葉社

『ミッドナイト・バス』では新潟、『雲を紡ぐ』では岩手と地方都市を舞台にした作品が次々と話題になっている伊吹有喜さん。最新作となる『犬がいた季節』では、三重の高校を舞台に、昭和の終わりから平成にかけて生徒たちを見つめ続けた「学校犬」を中心にした青春群像劇を書きあげた。

「この犬は実際に母校で暮らしていた犬をモデルにしています。私が高校に入学する前から学校にいて、入学式の日には、渡り廊下を歩く私たちのことを『よう、新入生どもよ』っていう顔で見ていたんです。学校の至るところに出没して、教室の後ろで寝てたりするんですよね。なんて自由な犬と学校なんだと思いました」

 伊吹さんはこの「学校犬」を見た最後の世代だったという。同窓会報で当時の思い出を書いたことから、伊吹さんのなかでその犬への思いは大きくなっていった。

「亡くなるまで12年間、その犬は高校にいたようです。一度卒業したらもう戻ってこない高校生たちを、ひたすら見送り続けたんだ、と思ったときに、犬の目線から時代を写しとって、歴代の18歳の姿を描いたらどうか、と思いました」

 作中では、その時代ごとの高校生が、恋愛に、進学に、また家庭の事情に悩む姿が描かれている。たとえば昭和63年の高校を舞台にした第一話「めぐる潮の音」は、成績優秀ながら家族から東京への進学を反対されている女子生徒、優花の視点で進んでいく。祖父母や兄から「女の子が東京の私立に行ってどうするんだ」という言葉を投げつけられながらも、優花は父の理解を得て東京に出ていく。

「地元を出ない限り、この先の人生が見えてしまう。地方に住む高校生にはそんな感覚が少なからずあると思います。もちろん地元で生きる選択も素晴らしいのですが、遠く離れた場所で今の自分じゃない何かになりたいという衝動を持つ生徒もいる。そんな18歳にとって、地元を出るか残るか、というのは人生で最初の大きな決断だと思うんです。これは作中で描いた昭和・平成だけの話ではなくて、経済的な負担を考えて地元の大学に行かなくちゃ、と考える人はむしろ今のほうが多いかもしれません。悩みなく進学できる人って、今も昔も意外と一握り。それでも焼け付くような衝動に正直に生きたい……変わっていく時代とともに、変わらない思いも書けたらと思いました」

伊吹有喜さん

 鈴鹿サーキットでF1を見た共通の思い出を胸に、別の道を歩んでいく男子生徒たち。祖母が残した遺産をもとに医学部進学を目指す女子。それぞれの決断を、犬がただ見守っている。「元気でね、という言葉を聞くと、長いお別れが来る」という犬目線の述懐が切なく、また温かくもある。

 執筆中、伊吹さんの頭には就職活動時にかけられた、ある言葉があったという。

「私自身、大学卒業後も東京に残るという決断をしたのですが、そのときお世話になった方は、ご迷惑をおかけしたのに『人生の門出の決断で泣くな』と言ってくださって。自分がした決断が誰かに負担をかけることもあると思うんです。でも若いうちはそれでいいんだよ、と思います。若い人には、自分の進んでいく道の先だけを見ていてほしい。そんな今の気持ちを、この作品に込めています」

 連載後に多くの加筆をしたという最終話。教師として働く優花が、自分の選ばなかった道に思いを馳せたとき、彼女の目の前に奇跡のような運命が巡ってくる。

 迷ったら、戻ってやり直せばいい。かつて高校生だった私たちへの優しいエールが胸にひびく。

いぶきゆき/1969年、三重県生まれ。2008年『風待ちのひと』でポプラ社小説大賞特別賞を受賞しデビュー。主な著書に、『四十九日のレシピ』『ミッドナイト・バス』『彼方の友へ』『雲を紡ぐ』、「なでし子物語」「BAR追分」シリーズなど。

犬がいた季節

伊吹 有喜

双葉社

2020年10月14日 発売

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