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 次の日の朝、先生夫婦が帰って来た。与えられていた課題が一つもできていなかった僕は当然ながら注意を受け、その日は奥さんの美佐江先生(仮名)がつきっきりで指導をしてくれた。

 アトリエで僕の絵を見ながら、おもむろに先生は自分のイーゼルに描きかけの絵を置いた。だれかの人物の素描だが、その顔が独特で日本人ではないように見えた。「これ誰なんですか?」。そう聞くと、一息ついて先生は話し始めた。

大学時代の辛い記憶

 先生によると、この人はYさんという男性で、先生の大学時代の友人だった。Yさんは兵庫の美術学校(デザイン科)に通っていたが、なんでもお父さんが黒人のハーフでお母さんがロシア人のハーフ。Yさん自身は肌の色は白いものの、顔つきは黒人に近く、彼が子供時代を過ごした70年代にはものすごい差別を受けたそうだ。

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「美しいでしょう」。Yさんの素描を見ながらそう言う先生は、どこか寂しげに思えた。先生はYさんの容姿がとても好きで、いつか描かせてほしいと彼に伝えていたらしい。

©️iStock.com

 だがある日、「今日だけ、朝まで一緒にいてほしい」とYさんが懇願してきた日があったという。先生は一緒にいてあげたかったものの、実家から大学に通っていたため門限があり、どうしても帰らないといけなかった。涙ながらにお願いしてきたYさんには申し訳なかったが、先生はそのお願いを断った。

 すると翌日、Yさんは一人暮らしの部屋でガス自殺を図り、亡くなった。Yさんは少し前に大きな部屋に引っ越したばかりで、後から考えるとその部屋のせいで孤独が増したのではないか、と先生は言う。命日は2月11日で、Yさんがいなくなった日からずっと、先生は後悔し続けているという。

「未だにあの子、私を……」

「この子なー、いつもデニムの下に下駄履いて、ラジオ持ち歩いててん。私の下の名前を3回呼ぶのが口癖で……」

 それを聞いて僕は、昨日と一昨日の出来事を思い出した。もしかしてあれは、Yさんだったのではないか――。そんな思いがよぎり、「実は、2人が留守中に……」と言おうとした。だが、先生の次の言葉を聞いて、口を噤んだ。

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「早く絵を完成させてケジメつけな……。未だにあの子、私を連れて行こうとしてるから……」

 先生は震えながら、キャンパスの一点を見つめてそう言った。学生時代の切ない後悔話かと思ったが、震えている先生を見て、僕は何か恐ろしいものを感じた。