「中国に帰れ!」
しかし、こうした噓で固めた生活は、詩織に、相当な心理的抑圧も与えていたようだ。詩織は、めまい、頭痛、胸の痛み、呼吸困難、不眠症など体調不良を訴えるようになっていた。子どもたちは、もちろん中国の姉夫婦に預けたままだ。
病院に行ったが、医者は風邪薬を出してくれただけで、症状は一向に回復しなかった。
手足が麻痺して、心臓がチクチク痛み、人と話すことも嫌になり、暗い場所やカーテンを引いた部屋に閉じこもることが多くなった。わけもなく泣けてきて、死のうと考えたこともある、と手記には記されている。それを思いとどまらせたのは子どもたちの存在だ。再び病院に行き、故郷の中国に行ったりすると病状が良くなると訴えると、医者は、もうすこし大きな病院の精神科に行ったほうがいいと勧めてくれた。
そのことを茂に告げると茂は、精神科に行くことは絶対駄目だ、行くなら中国に行け、といった。口さがない田舎のことだ。茂は外聞を気にしたのだ。
詩織は、拒食症にもなり何を食べても食べただけ吐くという状態になっていた。不眠症をなんとかしようとして酒を飲むようになり、ストレス解消にタバコも吸うようになっていた。そうした中で、詩織は、自分の体調不良はこの千葉の暗い田舎の家で生活するのが最大の原因だと思い込むようになる。そのため、再び茂に離婚してくれ、と申し出る。自分は子どもたちと生活するので毎月少しだけ生活費を送ってくれればいい、とも言った。
茂は激怒した。
「そんなに離婚したいのか! だったら離婚してやるが子どもたちは俺が引きとってお前には一生会わせないぞ!」
「帰れ! 帰れ! 中国に帰れ! そうすれば体も良くなるのだろう。その代わり俺も中国へ行って子どもを連れてくる。そして、お前なんかに絶対に分からないところに隠してやる!」
そういう茂に、なおも、執拗に、離婚したいと食い下がる詩織。
数十分の激しいやりとりの後、結局、最後は茂が病院に車で連れていったという。しかし、それは詩織が望んだ精神科ではなく、内科で、医者は、ありふれた精神安定剤をくれただけだった。
この諍いの直後、茂が「子どもたちが、日本語を忘れるといけないから、そろそろ日本に連れ帰ったらどうか」と提案し、詩織は茂に旅費を出してもらって中国にいそいそと帰っている。夫婦の機微というのは、なかなか表からは窺い知れないが、詩織は中国で英気を養い、その帰りには前述したように風俗で働き千葉にもどっている。しかし、子ども達は連れ帰らなかった。茂の「離婚したら子どもには会わせない」という言葉が詩織の耳に強く残っていたからだ。
その後、夫婦とも離婚については極力、触れないようにして日々が過ぎていった。
詩織は子どもを奪われることを何よりも恐れていたし、茂は茂で、詩織が子どもともども消えるのではないかという不安に囚われていたようだ。茂にとっては詩織も子どもたちも必要だったのだ。ただ、二人とも心の奥底に言うに言えない不満を抱いたまま普通の夫婦を演じていたというのが実情だろう。