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「正直、堕胎手術も考えましたが…」 中国人“鬼嫁”は、なぜ息子たちを溺愛したのか

『中国人「毒婦」の告白』#8

2020/12/03
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 2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。

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3人の生活

〈1年、たった1年と心の中で何度も言って決心を固めました。それでも、日本に着き、車が千葉の自宅に近づくにつれ、私は憂鬱になってきました。あの恐ろしい真っ黒な焼け爛れた骨組みを見たくない、思い出したくないという気持ちがどんどん強くなっていたのです。

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※写真はイメージ ©️iStock.com

 ところが、どうでしょう。家に戻ると、あの黒焦げのものは何もありません。一体どこに消えたのでしょう。茂さんは私の驚きが分かったらしく、「きれいになっただろう。かたづけるのは大変だった」と言いました。そして、今後は、私たちの住んでいる建物の1階の車庫部分を改装して、キッチンと茂さんの弟が寝る場所を作ろうと提案したのです。

 そうです。一時ですが火事の後、茂さんの弟さんが私たちと同居していたのです。弟さんは1階、私たちが2階。3人の生活は当初うまくいきました。弟さんは食料品を買う前に何を食べたいか、不足しているものは何かを聞いてきました。私たち3人は、お互いに敬意を払い譲り合う生活をしていたのです。私は、これなら1年を何とか頑張れる気がしていました。〉

予期せぬ妊娠

 しかし、一時の平穏な生活に予想外のことがおきる。

 妊娠したのだ。たった1年という固い決意で再来日した詩織にとって、妊娠という現実は、その後の人生の方向を大きく軌道修正せざるを得ない出来事でもあったようだ。

〈私は妊娠していることを知り驚愕しました。

 子どもが嫌いというわけではありません。欲しくないというわけでもありません。時機が悪かったのです。私は心に1年と決めて戻ってきたのです。もし子どもが生まれたら、この家から離れるのは天に昇るよりも難しくなります。

 私は自分のことをよくわかっています。私は子どもをひじょうに愛する人間です。子どもが生まれたら、どこに行くにも一緒に連れていって、けして離れません。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 ところが、鈴木家には跡継ぎがいません。子どもが出来たら、私が鈴木家から出て行くといっても、茂さんは絶対に子どもを渡してくれないでしょう。正直、堕胎手術も考えました。でも堕胎手術を行うなんて、なんと残酷なことでしょう。しかし、私が茂さんと自由に別れる方法はそれしかありません。子どもさえいなければ1年後、離婚は簡単にできるのです。