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「正直、堕胎手術も考えましたが…」 中国人“鬼嫁”は、なぜ息子たちを溺愛したのか

『中国人「毒婦」の告白』#8

2020/12/03
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ふたりの幼子と里帰り

 そうした様々な不満を抱えたまま何年かが過ぎたが、状況は少しも変わらなかった。そんな中、詩織は疲れた心を癒すためと、中国の両親に初めて子どもたちを見せるため、帰国した。

 02年のことだ。

 飛行機嫌いの茂が中国行きを嫌がったので詩織が、ひとりで二人の幼い子どもを連れて行った。

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 詩織にとって中国は久しぶりだ。

 北京に到着すると長姉夫婦が迎えに来ていた。子どもたちは何もかもが新鮮でもの珍しく、北京空港のロビーをはねまわった。大人3人はその子どもたちを追いかけてクタクタだ。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 くたびれた分、お腹をすかした一行は北京でもっとも有名な北京ダックの店「全聚徳」にタイミングよく席を確保し、それこそ何年ぶりかで、心ゆくまで美味を堪能したのだ。子どもたちも大満足の様子だったという。さらに、時間をおいて夕飯にはジンギスカン鍋をお腹が割れんばかりに食べた。

 北京から、さらに飛行機で故郷の方正県に行くと、小さい日本人を一目見ようと近所の約60世帯の人たちが次々と詰め掛けた。長男は如才ない性格なのか、子どもを連れている男性を見ると「パパ」と呼びかけ、同様に女性には「ママ」といって大人たちを喜ばせた。そして、この近所60世帯周辺ではちょっとした日本語ブームさえ起こったという。

「おはよう」「こんばんは」「おいしい」「おば」「おじ」「可愛い」

 また、子どもたちには多くの友達もできた。そんな日々が続いたある日、詩織はアトピーだった二男に薬を飲ませ、塗り薬を塗るのを忘れていたことを思い出し、慌てて薬を飲ませようとした。ところが、日本ではあれほど酷かった二男のアトピーが治っていたのだ。

 どうやら中国の田舎の環境が二男の体質改善に効果があったようだ。詩織は驚き喜ぶと同時に、両親や叔父、叔母、懐かしい故郷の人たちに囲まれ、かつてない安らぎを感じている自分に気づいていた。

中国人「毒婦」の告白

田村 建雄

文藝春秋

2011年4月20日 発売

「正直、堕胎手術も考えましたが…」 中国人“鬼嫁”は、なぜ息子たちを溺愛したのか

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