Q 関東芸人にとってM-1は、いわば道場破りのようなものですよね
落語界で新作が不当に貶められているのと同じように、M-1もナニワのしゃべくり漫才こそが漫才で、突飛な発想の関東言葉の話芸は漫才とは似て非なるものだという向きは当然あると思います。
ただ、繰り返しになりますが、言ってみれば、M-1は「吉本流」の大会です。したがって、他流派にも門戸は開きますが、ルールはうちの流儀のものでいきますというのは当然だと思います。吉本はそうは言っていませんが、むしろ、そう言ってもいいぐらいだと思います。
関東芸人がM-1に出場するということは、いわば、漫才の総本山に殴り込みをかけているようなものなのです。道場破りです。本来、「ルールは任せる」というのが筋だし、マナーです。
そうした幾多の不利を乗り越えなければならないからこそ、関東芸人の優勝にはなお価値があるのです。
それに、方法はどうであれ、芸に統一感を持たせないと、大会自体がつまらなくなってしまいます。
『R-1』がいい例です。「ピン芸」という大雑把な括りだけで、いったい何を競い合うコンテストなのか、未だに見えてきません。ギャグなのか、ネタなのか、フリートークなのか。その結果、興味が削がれてしまっています。
Q 『R-1』は異種格闘技戦のような様相を呈しています
『R-1』は、「世紀の凡戦」と言われたモハメド・アリとアントニオ猪木の対戦を繰り返しているようなもんです。
若い方は知らないと思いますが、1976年、ボクサーのアリと、プロレスラーの猪木が戦ったことがあります。アリは立ち続け、猪木は終始寝転がりながら戦ったため、3分15ラウンドまったく噛み合わないまま試合が終わってしまいました。
『R-1』も、それぞれの芸同士がまったく噛み合ってないので、戦いようがないし、ジャッジのしようもない。
ボクシングが世界一の格闘技になり得たのは、攻撃を拳によるものだけに限定したからです。そのため、お客さんや審判から見やすく、また、テクニックが異様なまでに高度化し試合自体がおもしろくなりました。
ピン芸人でコント師のバカリズムさんが、おもしろいことを言っていました。
「ピン芸人が『キングオブコント』に出られないのが納得いかない。出る大会が他にないので『R-1』に出てるけど、ピン芸、ピン芸って言われるのが嫌なんだよ。本来、そんなジャンルはないでしょう。俺のはコントだから」