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特集女芸人の今

90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」

モリマン ホルスタイン・モリ夫さんインタビュー#1

2020/11/15

 今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。

 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。3つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている 。

「もーりもりもりまんまんまん」という独特のブリッジ、下ネタも汚れ仕事も厭わない特攻スタイルで90年代のバラエティシーンを駆け抜けた女性芸人・モリマンのホルスタイン・モリ夫。

 東京での芸人生活は「正味3年半」だったというモリマンは、その年月とはおよそ比例しない様々なインパクトをテレビに残した。芸人からの嫉妬、スタッフからのいじめ、一般人からの誹謗中傷……彼女が東京の「テレビ」で見たものとは。 (全3回中の1回/2回目を読む)

 

◆ ◆ ◆

90年代の東京のお笑い、「裏」のほうが過酷に感じていた

——本日はわざわざ東京へありがとうございます。今モリ夫さんは地元北海道でタレントをされながらススキノでスナックを経営されてるんですよね。 

モリ夫 はい。東京でイベントと取材があるので昨日はお酒も控えようと思ったんだけど、飲んだら楽しくなっちゃって。結局寝ないで飛行機乗りましたね(笑)。ドンペリ入ったから、調子乗っちゃった。金で動いちゃうんですよね〜。 

——前回は山田邦子さんにご登場いただいて、80年代バラエティの空気と女性芸人についてお話ししてもらいました。90年代は『ひょうきん族』が終わり、今度はとんねるずさんやダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさんが出てきて、モリマンさんが活躍された『ボキャブラ天国』も始まりました。若手の時代が来た、みたいな空気がありましたよね。 

モリ夫 そうですね。数は多かったですね。 

——90年代を駆け抜けた女性芸人さんとして、モリマンさんの印象はとても強いです。なんでもありだったあの時代、それこそ「汚れ」と言われる仕事をモリマンさんが一手に引き受けて、一種女性芸人たちを守る「壁」のような役割を担っていたのではないかと。 

モリ夫 たぶんそんなことはないと思います。一部を私たちがやってただけで。番組内での痛いとか熱いとかって全然いいんですよ。私がその仕事をやっていたのは、トークができないからで、ぶっちゃけ楽っちゃ楽だったんです。

 女が居る場所としてはね……私は裏のほうが過酷に感じてました。女で堂々としゃべれる人は当時多くなかったし、その分、トークができる人は裏で辛いことも多かったんじゃないかと思う。

 

「東京で古着屋をやりたい」と、相方と上京

——モリ夫さんはどんな芸人を目指してキャリアをスタートさせたんですか? 

モリ夫 私、短大に行ってましてね、将来何やりたいとか特になかったんですけど、漠然と「社長以外やりたくないなー」とは思ってました。で、すっごいバイトして、古着屋の社長でもやろうかなって。

 たまたま私がよく行く札幌の雑貨屋さんに相方(種馬マン)が居て、相方が高円寺にあった古着屋の店長をやってたと。私が店を出すことに協力してくれるって話になったので、思い切って東京に行こうと決めました。友達がクラブを貸し切って、盛大に見送りパーティーをやってくれて。みんなお金ない中、餞別までくれて「頑張ってこいよ」って。