1ページ目から読む
3/5ページ目

人生で初めて書いたショートコントが大ウケ

——えーー! じゃあオーディションのネタは? 

モリ夫 「ネタどうするの?」って相方に聞いたら、「友達に面白い人がいるから書いてくれる」と。でもその「面白い人」もいつまでたっても来ず、オーディションの前日になり、結局コントもわからない私がショートコントを書きました。世にも面白くないものを作ったんですけど。 

——コントも何も知らない状態でネタを書いたわけですね。 

ADVERTISEMENT

モリ夫 はい。「コント、不良少女と呼ばれて」っていう、本当に面白くないネタ。だけどこれがウケたんですよ。勢いだけでやったのに。その時の、最高得点だったんですよ。とにかくでかい声でやっただけなのに。 

——ウケた!! 

モリ夫 笑ってもらえるって、すごい楽しいなと思ってしまいました(笑)。そこからあれよあれよと1年くらいで売れちゃった。

 相変わらずお金はなく、バイトもしながら、本当に寝る時間もない状態で。家の真ん前のラーメン屋さんでバイトしてたんで、どこか地方に行く時も絶対にそのラーメン屋の前を通るしかなくて、人手がないと手伝わないといけない。空いた2時間スープ作りに行ったりね(笑)。

 

 ピンク・レディーじゃないですけど、意外とその時の記憶がないんですよ。 

——ああピンク・レディー、言いますよね。忙しすぎて記憶がなくなるという。 

モリ夫 ここが現代の芸人との違いなんですけど、扱いがひどく雑だったんです。電車移動中に寝てたら写ルンですでパシャパシャ撮られたり、そういうのが日常的にあって、ストレスで。今みたいに個室居酒屋とかもなかったから、どこへ行っても嫌な目に遭いましたね。 

——プライベートも何もなかったんですね。 

モリ夫 はい。仕事でも、当時の制作陣は性格悪い人が非常に多くて、なんだこいつらっていっつも思ってました。あの人たちも自信がなかったのかな、マウント取りたかったんだろうなって、今はそう思う余裕はありますけど……。あの頃は「はいはい」って従うしかなかった。 

——まだモリ夫さんが20代の時。 

モリ夫 20代前半ですね。21歳で吉本に入って、25で北海道に帰ったから。だから、芸人は正味3年半。東京ではそのぐらいしかやってないんですよ。 

下ネタは、全然やるつもりじゃなかった

——一番最初に作ったネタは、すでにモリマンさんの芸風の原型でしたか? 

モリ夫 そうじゃなかったですね。ちょっと無茶しちゃったんですよ。調子に乗って、当時の銀座7丁目劇場の支配人に「単独ライブやりたいです」って直談判したら「1週間で10本新ネタ書け」と言われて。

「やります」って啖呵を切ったものの、無理なんですよ。バイトも忙しい、相方は何もしてくれない。要は、女芸人が7丁目劇場で単独ライブをまだ誰もやってなかったので、1発目になりたいと思っただけなんです。しかしちょっと早すぎたんですよ。

 そして切羽詰まって、やっちゃったんですよ。