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90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」

90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」

モリマン ホルスタイン・モリ夫さんインタビュー#1

2020/11/15
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 でも、東京に来たら、相方が全然紹介してくれないんですよ。仕方ないから警備員とかレンタルビデオとか、別に東京でやらなくてもいいようなバイトをいくつも掛け持ちして食いつないでました。本当に貧乏でしたね。

 しかも私、その時初めての家出だったんですよ。それまでずっと実家にいて、東京に行きたいと言ったら「あんたなんか一人暮らししたことないのに、東京なんかで暮らせるわけない」って止められたのを強行突破してきたんです。でも家を借りるのに親が保証人にならなきゃダメだと言われたから、「ごめんなさい」って公衆電話から泣きながら電話して、最終的に親は「応援してるよ」って言ってくれたんですね。

 本当はすぐにでも帰りたかったんですけど、みんな盛大に送ってくれたんで、帰れない。 

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——どうしたんですか? 

モリ夫 ある日相方が「お笑いのオーディションがあるんだけど、受けない?」って言い出したんですよ。まぁもうなんでもいいや、どうせ落ちるだろうしと思って受けてみました。 

漫才とコント、2種類あることすら知らなかった

——芸人に興味があったんですか? 

モリ夫 私、中学生くらいからほとんどテレビを見てないんですよ。見てたのは『イカ天』と、『夢で逢えたら』、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』くらい。 

——その3つだけ見ていた理由は? 

モリ夫 『イカ天』は音楽が好きだったから、『夢で逢えたら』と『SHOW by ショーバイ』は野沢直子さんが出ていたからです。大好きで憧れていました。 

——どういうところにあこがれていたんですか?  

モリ夫 『CUTiE』という雑誌が高校生の頃に創刊して、野沢直子さんが表紙になったんですよ。すべての神だと思いました。面白い、かわいい、オシャレっていう、私のあこがれの女性の三拍子がそろっていて。家族で大ファンでした。兄ちゃんと野沢さんのバンドのライブに行ったりしてましたもん。 

 

——確かに当時の野沢直子さんは、かわいいのに結構なことをやる、ぶっ飛んでるイメージありました。モリ夫さんともちょっと重なる部分あります。 

モリ夫 全然! 野沢さんは何か一言言うだけでも大爆笑ですもん。やっぱり面白さがにじみ出てますよ。当時の私はお笑いのことなんて全く分かってなくて、それこそ漫才とコントの2種類あることすら知らなかったくらい。