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 もともと『R-1』の「R」は落語を意味します。第一回大会は全員、座って芸をしていました。それくらいの縛りがあればいいのですが、それもなくなり今はカオス状態です。

 コンテストの方向性が定まっていないと、芸人も何を磨けばいいのかわかりません。だから今もときどき素人芸のようなものが紛れ込んでしまうのです。

 そもそも「一人」という括りに無理があります。芸のコンテストは人数ではなく、ジャンルで括るべきものだからです。もう一つ言えば、女芸人ナンバー1を決定する『女芸人No.1決定戦 THE W』も不思議なコンテストです。芸のコンテストは性別で分けるものでもありません。

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 その点、M-1は非常にすっきりしています。「吉本流」の漫才コンテストです。

Q M-1は競技漫才だという批判に対しては、どう思いますか?

 一部には、笑いは点数化すべきものではないとか、M-1は「競技漫才」だとかいう批判もあります。もちろん、僕も漫才がスポーツだとは思っていません。でも、M-1は漫才をスポーツのように見せることに成功したからこそ、これだけ注目され、年末の風物詩と呼ばれるまでのソフトになったのだと思います。

 スポーツに似せる以上、「異種格闘技戦」にならないようにしなければいけません。そのためにも漫才とはこういう演芸のことを指すというある程度の基準、縛りが必要なんです。

 公式ホームページの審査基準には「とにかくおもしろい漫才」としか書かれていません。

 非常に緩い規定のようですが、「漫才」をどう定義するかによって、いかようにもジャッジできます。どんなに爆笑を誘っても、これは漫才ではないと言えば、簡単に切ることもできちゃうわけですから。

 14回の歴史の中で、M-1における漫才の解釈は、ときに拡大し、ときに限定されてきました。

 前述しましたが、第二回大会では、テツandトモが出場していました。審査員は困惑していました。

©iStock.com

 松本さんは「これを漫才ととるかっていうとこですよね……」とこぼし、立川談志師匠にいたっては「お前ら、ここへ出てくるやつじゃないよ。もういいよ」とストレートに諭しました。彼らの芸は、やはり漫才ではない。貶めるわけではもちろんなく、ジャンルが違う。M-1は、あくまで複数人による話術の芸を競い合う場です。

 そのあたりは、漫才の定義が狭くなったというより、回数を重ねるごとにより安定してきた印象があります。