今日12月10日、年始の箱根駅伝の各校エントリー選手16人が発表される。
選ばれたランナーたちには、実際に本番を走れる10人の枠に入るための厳しい競争が待っているわけだが、選ばれなかった選手たちにとっては1つの区切りとなる重要な一日だ。
特に選から漏れた4年生にとっては、大学での競技生活の終わりを意味するターニングポイントでもある。
ちょうど1年前の今日、そんな日を複雑な気持ちで迎えている1人のランナーがいた。
「言い方はよくないですけど、正直『どうせ走れないし、もうどうでもいいや』という気持ちでした。自分では『もう、しんどいな』となっていましたし、それ以上に現実から逃げていた。今思えば、甘ったれた部分がかなりあったように思います」
羽生拓矢は、東海大の“黄金世代”として迎えた最後の箱根エントリーの日をそんな風に振り返る。
東海大“黄金世代”として入学した羽生
羽生の名が全国に知れ渡ったのは、高校時代のことだった。
千葉・八千代松陰高校1年時に高校生長距離ランナーの基準となる5000mで高1歴代最高タイム(当時)を記録。その年の全国高校駅伝では準エース区間の3区を走ると、1年生ながら他校の外国人留学生とも果敢に勝負し、日本人1位の快走。ファンに大きなインパクトを与えた。
高校駅伝では3年時にもエース区間の1区で終始、先頭を引っ張り続ける強気な走りを見せると、最後に逆転されたものの区間2位。156㎝の小さな体で、絶対に後ろに下がらず、前だけを見て走り続ける羽生の姿は、タイム以上の強さを感じさせ、名実ともにこの世代のトップランナーとなった。
「高校時代は走る前から『どんな走りができたら周りが驚くかな?』みたいに思えていて。ただ区間賞を獲るよりも、『思い切って前で引っ張って、区間賞を獲ったほうが周りの反応も面白いだろうなぁ』とか考えていました。そういう風にモチベーションを持っていけるだけの練習ができていましたから。とにかく自分が後で後悔しないようなレースをすることだけ考えていました」
練習に裏打ちされた確かな自信と、全国区の実績。そんな高校時代の手土産を引っ提げ、羽生が進学先に選んだのが東海大だった。
この年、東海大の新入生には全国から有力選手たちが集結し、“黄金世代”と呼ばれていた。もちろん羽生はその筆頭格として、様々なメディアに注目されることになる。
「東海大を選んだのは本当に直感というか。別にほかの選手と『みんなで行こう』という話をしたとかではないんです。声をかけてもらった大学はそれぞれ良いところもありましたし、最後は本当にある時ふっと『東海大にしよう』という感じでした」