「箱根には“夢”がありました。あんなにたくさんの人が自分の名前を呼んで、応援してくれる。とにかく感動しました。親も、友人も、『お前が本当に箱根を走るのか』って不思議な顔をしていましたけど、一番自分が驚いているかもしれませんね」
新年1月2日、3日に行われたお正月の風物詩・箱根駅伝。今年は5連覇を狙う優勝候補の青学大を破って東海大が初優勝。最終盤までもつれた優勝争いも相まって、テレビ中継でも平均で歴代最高視聴率の31・4%を記録するなど、大きな盛り上がりを見せた。
それだけの熱狂を見せる巨大コンテンツとなっただけに、いまでは宣伝効果を求めて箱根駅伝には多くの大学が力を入れている。もちろん高校生へのスカウティングも加熱の一途をたどり、良い記録を持っている選手には、各大学からのスカウト合戦が起きることも常である。
そんな状況の中で、今回の箱根で殊更、目についた選手がいる。それが伝統校・中大の1区を走った中山顕(4年)の存在だ。
冒頭のようにレース後の感想を語った中山は、伝統の「C」を胸に、区間賞から1秒差の区間2位という抜群の滑り出しを見せた。今季、ハーフマラソンで塩尻和也(順大)に次ぐ学生2位の記録を持ち、押しも押されもせぬ中大のエース。ハイペースになると予想された1区起用という重圧のかかる役回りを、しっかりとこなしてみせた。
だが、4年前に「中山顕」という名前の高校生を知る陸上競技関係者は、ほとんどいなかったはずだ。
「中山顕」って誰?
それもそのはずで、中山の高校時代の競技実績はほぼ皆無。高校生ランナーの指標となる5000mの記録も、3年の秋に記録会でようやく15分ヒトケタ程度のタイムを一度出しただけというものだったからだ。
伝統校の大学でエースを張るような選手は、高校時代から13分台の記録を持つことも珍しくない近年の事情から鑑みれば、中山の記録はスタートラインにすら立てないレベルのものだった。
「かろうじて1回だけ県大会には出たことがありますけど、それ以外は全部、地区予選落ちで。箱根駅伝はテレビで見ていましたけど、ファン目線というか。憧れ……ですらなかったですね。走っている人たちは別次元の選手で、遠い世界の話という感じで」
中山が陸上競技をはじめたのは高校時代。中学まではサッカーに熱中していたというが、「ユース上がりの選手もいて、レギュラーになれなそう」だったという理由で、たまたま目についた陸上部の門を叩いた。
「『箱根を目指したい』とか、そんな大それた目標はまったくなくて。監督がとても優しかったので、楽しくできればいいかなと」
高校時代も自分の中では精いっぱいのトレーニングを積んでいたという。大きな故障もなく3年間続けたものの、前述のとおり、ほとんど県大会前の地区予選で敗退していた。
「もともと理系だったので、薬剤師を目指して資格を取ろうかと考えていました。両親ともそんな話をしていて、薬学部のある大学に進学しようかと思っていたんです」
「中大で箱根を目指したい」
そんな中山に転機が訪れたのは、高校3年時の9月。高校最後のレースとして考えていた高校駅伝の県予選に向けた記録会で、それまでの自己ベストを30秒以上更新して、15分8秒をマークしたのだ。
「いま思うと全然、箱根を狙えるような記録じゃないんですけどね(笑)。でもその時は『挑戦してみたいな』という気持ちが芽生えてしまって。もちろん、どこからもスポーツ推薦の話なんて来ていなかったので、まずは学校の指定校推薦に中大の枠があったので、それを取りました。両親にも『中大で箱根を目指したいから、行かせてください』と頼みました」