昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

実績ゼロで入部した中央大学・中山顕が箱根駅伝の1区で走るまでーー雑草たちの箱根駅伝 #1

入学当初は「C」のロゴの入ったウエアを着ることもできなかった

2019/01/22

 そうして着々と力をつけた中山は、3年時には箱根駅伝予選会でチームトップの走りを見せ、夢の箱根路も初めて走ることができた。また、トラックレースのタイムも伸び続け、5000mで13分53秒、1万mでも28分22秒と、大学陸上界全体から見てもエース級といえる記録をマークした。今年の年明けの箱根での活躍ぶりは、冒頭の通りだ。久しぶりに伝統の「C」が箱根路で先頭を走る姿がテレビで見られ、往年の駅伝ファンも喜んだことだろう。

「C」のロゴを胸に、夢の箱根路を駆け抜ける中山 ©末永裕樹/文藝春秋

 ではなぜ、中山はまったくの無印状態の選手から、これほど急激な伸びを見せることができたのだろうか。その理由として、2つの要素を語ってくれた。

 1つは箱根駅伝への想いの強さだ。

誰にも負けない「箱根駅伝」への想い

「自分の中での『箱根駅伝』という舞台への想いの強さは、人には負けていなかったと思います。スポーツ推薦の選手たちは、大学から声がかかって入学して、言い方は悪いですけど受動的にやっている選手もいます。でも、僕は自分から『箱根駅伝で走りたいから、なんとかやらせてください』とお願いして入っている。練習も“やらされている”んじゃなくて、自発的にやるようにしました。常に考えていたのは、『今のままで自分に箱根が走れるのか?』ということです。それを自問自答しながら毎日、練習に取り組みました。もちろん妥協をしたくなる日もありましたけど、そういう時は自分に問いかけて、泥臭くできたのが良かったなと思います」

 練習前に行う補強も人一倍、意識を高く持ったという。トレーナーの指導は忘れずにメモに書きとめ、毎日やると決めた種目は何があっても地道に続けた。地味な練習だったからこそ、そんな積み重ねも最後の最後に生きたのだろう。

「実績がない」からこそ、人一倍成長できた

 もうひとつ中山が語ったのは、「プライド」という言葉が持つ意味だ。

「『自分のやり方』にこだわりすぎてしまうと、あまりよくないと感じます。実績もあって、プライドが高い選手は、特に『俺はこのやり方でやって来たんだから』と他の人の意見を聞かなくなってしまう。『俺はこれで強くなったんだから、これまでのままでいいんだ。こんな練習じゃダメなんだ』と思ってしまうと、伸びていないのかなと思っています。一方で自分はそういう意見を聞いて素直に受け取れることができていたので、成長につながったのかなと。僕は高校時代の実績もないし、いい意味でプライドがなかったので(笑)。両親や陸上競技を知らない人からのアドバイスでも『あ、そういう意見もあるんだな』と素直に受け入れられて、それも成長につながったと思います。自分で考えることは大切ですけど、やっぱり一定のレベルまではガムシャラにやるしかない部分もありますから」