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“箱根駅伝に嫌われた男”の復活劇 羽生拓矢はなぜ「どん底」から這い上がれたのか?

トヨタ紡織陸上部 羽生拓矢選手インタビュー

2020/12/10

 今日12月10日、年始の箱根駅伝の各校エントリー選手16人が発表される。

 選ばれたランナーたちには、実際に本番を走れる10人の枠に入るための厳しい競争が待っているわけだが、選ばれなかった選手たちにとっては1つの区切りとなる重要な一日だ。

 特に選から漏れた4年生にとっては、大学での競技生活の終わりを意味するターニングポイントでもある。

 ちょうど1年前の今日、そんな日を複雑な気持ちで迎えている1人のランナーがいた。

トヨタ紡織所属の羽生拓矢選手 ©文藝春秋

「言い方はよくないですけど、正直『どうせ走れないし、もうどうでもいいや』という気持ちでした。自分では『もう、しんどいな』となっていましたし、それ以上に現実から逃げていた。今思えば、甘ったれた部分がかなりあったように思います」

 羽生拓矢は、東海大の“黄金世代”として迎えた最後の箱根エントリーの日をそんな風に振り返る。

東海大“黄金世代”として入学した羽生

 羽生の名が全国に知れ渡ったのは、高校時代のことだった。

 千葉・八千代松陰高校1年時に高校生長距離ランナーの基準となる5000mで高1歴代最高タイム(当時)を記録。その年の全国高校駅伝では準エース区間の3区を走ると、1年生ながら他校の外国人留学生とも果敢に勝負し、日本人1位の快走。ファンに大きなインパクトを与えた。

 高校駅伝では3年時にもエース区間の1区で終始、先頭を引っ張り続ける強気な走りを見せると、最後に逆転されたものの区間2位。156㎝の小さな体で、絶対に後ろに下がらず、前だけを見て走り続ける羽生の姿は、タイム以上の強さを感じさせ、名実ともにこの世代のトップランナーとなった。

「高校時代は走る前から『どんな走りができたら周りが驚くかな?』みたいに思えていて。ただ区間賞を獲るよりも、『思い切って前で引っ張って、区間賞を獲ったほうが周りの反応も面白いだろうなぁ』とか考えていました。そういう風にモチベーションを持っていけるだけの練習ができていましたから。とにかく自分が後で後悔しないようなレースをすることだけ考えていました」

高1時の5000m14分00秒55は当時の高1最高記録だった ©文藝春秋

 練習に裏打ちされた確かな自信と、全国区の実績。そんな高校時代の手土産を引っ提げ、羽生が進学先に選んだのが東海大だった。

 この年、東海大の新入生には全国から有力選手たちが集結し、“黄金世代”と呼ばれていた。もちろん羽生はその筆頭格として、様々なメディアに注目されることになる。

「東海大を選んだのは本当に直感というか。別にほかの選手と『みんなで行こう』という話をしたとかではないんです。声をかけてもらった大学はそれぞれ良いところもありましたし、最後は本当にある時ふっと『東海大にしよう』という感じでした」