さらに経済的な問題が解決されたとしても、まだ皇室特有の価値観の問題が残っています。もしかすると、こちらの方が根は深いかもしれません。
いまの日本は、近代的な価値観と現代的な価値観が拮抗している状態。かつては結婚というのは「家」対「家」の約束事で、家長に結婚を容認・拒否する権限がありました。それが戦後になり、「家」と「家」から「個」と「個」の合意によって結婚は成立するというようになりました。1970年代ごろからは日本でも、「運命の人と出会って恋愛をし、その先に結婚がある」というロマンチックラブイデオロギーが一般的になっています。
小室圭さんと母親は日本人には“異物感”が強い?
皇室においても、美智子さまのご成婚時には「ミッチーブーム」が起こり、皇族の自由恋愛が受け入れられるようになりました。眞子さまも同じように、自分が好きになった相手として、小室さんとの結婚を選ばれたのだと思います。
父親である秋篠宮さま自身も、自由恋愛で紀子さまとご結婚されたわけですから、結婚に対しては現代的価値観をもっていたはずです。しかしご自身が親の立場になり、眞子さまが結婚相手に選んだ小室さんの家の金銭トラブルへの対応などを見るに及び、「結婚は個人の自由」という信念が揺らいだのかもしれません。秋篠宮さまの「結婚と婚約は別です」という言葉にそれが象徴されているように思います。
そもそも私たち日本人の国民性として、集団の意向を理解して寄り添うことを重視する傾向が今でも強いです。その中で小室圭さんとその母親は“異物感”が強いのではないでしょうか。
金銭トラブルにしても、自分が困っている時に助けてくれた人が困っているのであれば「今の僕の収入では、これくらいしか返せませんが、今後このように返していきます」と、それぐらいの素朴なことでよかったのに、なぜそれをしないまま、ニューヨーク州の弁護士という華やかな道を進むことで一発逆転を目指すことになるのでしょうか。そうしたところに、一般的な日本人の感覚とのボタンのかけ違い、コミュニケーションがとりにくい雰囲気がありますよね。
それが「こんなに眞子さまのことを心配しているのに……」といういら立ちに繋がり、1億円超の一時金に対する批判も出てきたのではないのでしょうか。
経済的問題、価値観の問題、これらがクリアになれば国民の納得も得られるのでしょうが、現時点では前途多難だと感じずにはいられません。眞子さまが幸せになられる結末をお祈りしています。
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