11月30日に55歳のお誕生日を迎えた秋篠宮さまが、会見で眞子さまと小室圭さんの「結婚を認めるということです」と発言され、波紋が広がっている。
「文春オンライン」では11月13日に眞子さまのお気持ちが発表されたことを受け、11月14日より12月1日まで「眞子さまと小室圭さんの結婚についてどう考えますか?」というアンケートを行った。その結果、昨年行った同じ設問でのアンケートに続き、過半数が「待つべき」と回答している。
なぜ国民は眞子さまと小室さんの結婚に慎重姿勢なのか。戦後民主主義とともに深化してきた皇室と国民の関係にとって、今回の結婚はどんな意味を持つのか。著書『皇国史観』で、「令和以降の皇室」の危うさを指摘している片山杜秀氏に話を聞いた。
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今回の「結婚を認めるということです」という秋篠宮さまのご発言の真意を考えるうえでキーになるのが、「戦後民主主義を重んじる皇室の意識」と「保守化する国民意識」の乖離だと思います。
戦後の皇室は「国民目線」を追求してきた
1946年1月1日に昭和天皇が「人間宣言」を発表して以来、皇室が目指していたのは「普通の人間」になることでした。イギリス王室をモデルにして、国民からかけはなれた存在ではなく、同じ価値観で生きる同じ人間として親近感を持たれることを理想に掲げてきました。
その変化の1つが、自由恋愛です。上皇さまと美智子さまに始まり、天皇陛下と雅子さま、秋篠宮さまと紀子さまと、皇族であっても自分で選んだ好きな相手と結婚をするのが良いことである、という価値観を作ってきました。そして夫婦と子供たちによる「戦後核家族的なファミリー像」を打ち出しています。
その流れの出発点になった上皇夫妻の影響を強く受けて、秋篠宮さまも「特別な存在ではなく1人の人間として生きることが、国民に寄り添うことになる」という意識をお持ちです。
もちろん、ここで言う「普通の人間」とは、戦後憲法の描く日本国民のイメージと重なるものです。憲法は当人同士の合意があれば何人もそこに干渉できないと謳っているのですから。それでもあえて干渉したら、皇族はやはり「普通の人間」ではない、皇室は昔ながらの「日本の家」なのだというイメージを内外に発信してしまうことになる、とも言える。だからこそ眞子さまの結婚について、最終的には「認める」という結論に達したのでしょう。