国民の強い反発は想定外?
しかし、この発表に対して国民からは大きな反発が起きてしまった。これは皇室にとっても想定を超えた事態であったと思います。
もちろん反対の理由の中には、小室さんの個人としての資質への疑問や、家庭が抱えていると言われるトラブルなどの存在が含まれているのも確かです。伊吹文明元衆議院議長が語った「小室圭さんは、週刊誌にいろいろ書かれる前に説明を国民にしっかりとされて、国民の祝福の上にご結婚にならないといけないのではないか」というのも、国民の偽らざる感情でしょう。
しかし個人的には、この問題がもし10年前、20年前に起きていたら、「皇室だって自由恋愛で自分の思いを貫いていいじゃないか」という声がもう少し強かったのではないかと思います。
つまり、国民が皇室に求めるものが変化しているのです。
皇室に「特別な存在」でいて欲しい
戦後の皇室はながらく、畏れ敬われるというよりはフラットで親しみを持たれる存在であることを大切にし、それが受け入れられてきました。
しかし今回のご結婚への反応を見ると「皇室にとっては恋愛の自由よりも義務の方が重い」「1人の人間の権利を行使するよりも、皇族としての規範に忠実であって欲しい」という声が多い。
戦前の現人神や国家神道とまではいかなくても、ある種の「特別な存在」でいて欲しいという保守的な空気が強まっているのではないでしょうか。「国民とフラットな関係の皇室」という流れが、終わりを迎えつつあるとも言えます。
これは、日本という国の勢いがなくなってきたことで、逆に皇室に強い理想を求める気持ちもあるのかもしれません。国民に余裕があれば、自由恋愛を貫く皇族がいてもいいじゃないかという風になりやすい。ところが社会情勢が不安定になると、「日本がこんな大変な時に模範となる皇族が何やってるんだ」という声が勢いを増すものです。もちろん、皇族の人数が少ないのに、という事情もさらに絡んでくるのでしょうが。