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大嘗祭の経費問題でも現れた「ズレ」

「保守化する国民」と「民主主義を重んじる皇室」の乖離は、大嘗祭の問題でも見られました。

 秋篠宮さまが大嘗祭に関して「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈したことがありました。政教分離の原則の中で、たしかに大嘗祭の存在はグレーゾーンです。だから国家予算ではなく、皇室の家計の中で行った方がよいのではないか、という秋篠宮さまの問題提起はまさに正論。戦後民主主義と皇室の折り合いをどうつけるかを真剣に考えてこられた秋篠宮さまだからこそのご発言でした。

秋篠宮さまは2018年の会見で、「多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちはいわゆる婚約にあたる納采の儀というのを行うことはできません」と発言 ©JMPA

 しかし、国民の反応は芳しくありませんでした。24億円超の大きな経費がかかりますが、それでも税金から出すことについて国民は問題視せず、むしろ「ケチケチしなくて良い」という声が多数派でした。これは、民主主義の原則を貫くよりも皇室の権威を示すことが大切だ、という感覚が広がっている証左です。

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「平和を祈る存在」の曲がり角

 同時に、上皇上皇后両陛下が平成期に確立した「無私に徹し、平和を祈る存在」という皇室観も曲がり角を迎えています。両陛下はずっと平和への思いを表明してきましたが、その“ありがたみ”を実感する人の数は確実に減っています。

 若い世代の中には、地震や原発事故にコロナウイルス、そして中国の脅威があるなかで、いつまでそんな昔の戦争の話をしているんだ、という意識も確実に広がっています。とりわけ平成の後半以降は、そのズレが可視化される機会も増えてきました。

2019年11月、祝賀御列の儀での天皇皇后両陛下 ©JMPA

 しかし上皇上皇后両陛下が確立した皇室観があまりに成功したために、今から新しい皇室観を打ち出すことは極めて難しい。そして、今回の眞子さまのご結婚問題はいわば「皇室の一歩先のありかた」を問うものです。皇室の過渡期だからこそ起きた、極めて難しい問題なのです。