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「俺たちはソ連人のために働いているんだ」的なことを真顔で言われて

 露骨な差別感情を受けても「ああ、この人はそういう人なんだな」以上のことは思いません。若い頃は差別されて怒っていたんですが、いまじゃ「ふーん、その程度の人か」と思って終わりです。でも、その境地にいたるまではいろいろありました。

 大学時代、アメリカやオーストラリア、旧ソ連などに留学・遊学をした経験があります。そこでいろいろと歓待を受けたりするものの、やっぱり大学の寮やホームステイ先から出て街中に買い物に行くと、両眼を吊るような仕草でアジア系を馬鹿にする現地の人や、タクシーに乗ろうとすると拒否されたりする経験があります。

NIKEのCM炎上と、マジョリティの「内なる差別感情」について

 

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 さらには、大学で知り合った現地のアメリカ人学生からホームパーティーに呼ばれて、手土産をもって喜んで行って、みんなで泳ごうとプールに入ったら現地の白人の皆さんがプールに入った私を見てサッとプールから上がったりします。

 モスクワにいたときは、ルームメイトのチェコ人やセルビア人たちと外食に出かけた際、物乞いの群れに襲われて財布を奪われそうになったのですが、ちょうど目の前にロシア人警官がいるのに助けてくれないわけですよ。蹴とばして追い払ってから「どういうことなのだ」とみんなで抗議したら、「俺たちはソ連人のために働いているんだ」的なことを真顔で言われて、なるほど一歩海外に出るとマイノリティはそういう問題に遭うことも分かったうえで行動しなければならないのだと学びました。

©iStock.com

 たった2分の動画ですべてを細かく表現することはできないけれど、ただ、あれから25年経って多くの外国人が日本で働き、また日本へ観光に来るようになると、否が応でも外国人を隣人に迎えたり、ビジネスの相手にしなければならないことは増えます。卑近な例ではコンビニで働く店員さんに外国人が増えただけでなく、もはや我が国の製造業も農業も観光業も、外国人の人たち抜きには成立しなくなりました。

日本社会に外国人を受け入れるというのはどうあるべきか

 長く港区赤坂に暮らした私も、一時期近隣がすっかり韓国人街となり、ご近所との付き合い方に工夫をしなければならなくなりました。

 それと同時に、外国人と暮らすというのはどういうことか、日本人として、日本社会に外国人を受け入れるというのはどうあるべきかというのは、一緒に仕事をしたり、トラブルを乗り越えるほどに身近なものに感じられるようになってきます。中国人がスーパーでカゴをパクっているのを見れば必ず注意する、でも一度「そうだ」と納得してくれればずっと守ってくれる人たちになる、という風に。