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「女性だから言われてしまう」

 もしかしたら、そうした意見を投げている側は、善意で言っているのかもしれないし、そうした意見の中には役立つものもあるかもしれない。ただ、ここで重要なポイントは実質的な優劣にかかわらず、「女性だから言われてしまう」ということだ。ソルニットのエピソードが最高にわかりやすいが、「彼女自身が書いた本なのだから、その本に関しては彼女の方がその男より詳しいに決まっている」という点には誰もが合意するだろう。これは実質に基づいた常識的な判断だ。しかし、その男はおそらく彼女が「女性だから」という理由で、自分自身の方が(合理的な根拠もなく)「説教」できる立場にいると思ってしまった。これは実質に基づかないおかしな判断だ。

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 いま、これまで見過ごされてきた物事を揶揄したり、批判したりする言葉がたくさん出てきている。マンスプレイニングもそうした言葉のうちのひとつだ。実のところ、こうした言葉によって指摘される事柄が倫理的にどう問題なのか、こうした言葉はいかなる条件を満たせば適切に用いることができるのか、などの問いは残るだろう。しかし、僕が個人的に大切だと思うのは、こうした言葉があることによって、理不尽が言語化される点、問題意識が活性化される点の2つだ。

さらにひどい嫌がらせ

 この節では、さらにひどい嫌がらせについて紹介したい。声をあげた女性のアクティビストに対する嫌がらせは本当にひどく、(男性である僕には嫌がらせが来ないという非対称性もあって)とてもやるせない気持ちになる。

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 とりわけよく聞く被害は、SNSなどを通じて卑猥な画像が送られてくる嫌がらせだ。もちろん、卑猥な画像だけではなく、卑猥な言葉を投げかけられることもある。そうした画像や言葉には、時には、女性を誘うような言葉も追加されているかもしれない。でも、それでも男性がその女性を本気で誘っていないのは明らかだ。よほど「どーかしている」男性ならともかく、多少でも常識のある男性なら、突然自分の男性器の写真を女性に送りつけたとしても、女性は喜ぶわけもないことぐらいはわかる。つまり、これは悪意による嫌がらせなのだ。