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「本当に死にたい」気持ちと、「本当は死にたくない」気持ち

 つまり、Cさんは死にたい気持ちと、死ぬのを止める気持ちの間を揺れ動いていた。8月29日夕方、白石被告から、スマホを江ノ島に捨ててくるように言われ、白石被告のアパートを出た後、Cさんは「これからは生きていこうと思います」とLINEをしている。

 厚生労働省の自殺対策のホームページの中で、「迷信(myth)と事実(fact)」というコンテンツがある。例えば、「一度自殺を考えた人は、ずっと自殺したいと思い続ける」というのは迷信で、事実は「自殺リスクが高まることは一時的なものであり、その時の状況に依存することが多い。自殺念慮が繰り返し起きることはあるかもしれないが、長く継続するものではなく、過去に自殺念慮や自殺未遂があった人でも、その後の人生を長く生きることができる」としている。

事件現場 ©文藝春秋

 その意味では、Cさんも「本当に死にたい」気持ちと、「本当は死にたくない」気持ちの間を行き来しているとも言えるのだろう。

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 もちろん、短時間で殺害された被害者の場合は、白石被告と出会ってから殺害までに明確に自殺の撤回をした文言はなく、気持ちの上で生と死を彷徨っていたと判断できる材料はない。ただし、白石被告の法廷での証言によれば、待ち合わせ以後は、積極的に自殺に関する話題は出ていない。

被害者が実現しようとしたのは、殺害の被害者ではなく「ネット心中」

 そのため、白石被告の認識がどうあれ、被害者が死にたい気持ちを持ち続けていると思わせても不思議ではない一方で、「本当に死にたい人はいなかった」と白石被告が証言するほど、自殺から遠ざかっている印象を持たせていた。自殺をした人が、家族や恋人、友人には「そうは見えない」という場合がある。白石被告から見れば、「ヒモになれるかどうかの見極め」のための「深掘り」だったとしても、被害者からすれば、悩みを聞いてくれる時間だったのだろう。

2017年11月1日、送検される白石隆浩被告 ©文藝春秋

 弁護側は、被害者は黙示的に承諾をしていたと主張している。承諾殺人は、明示的に承諾をしていなくてもいい。ただし、殺害時に、殺されてもいいなどの被害者の真意に基づいてされたものかどうかがポイントだ。翻意したり、殺害自体への抵抗があれば、承諾とみなされない。首を締めるときに手足の動きが抵抗なのか、反応なのか。裁判所や裁判員はどう判断するのか。

 検察側の主張では、被害者の意図が死を実現させることだとしても、同じように「死にたい」と思っている白石被告と一緒に自殺をするというものだ。被害者の多くのやりとりは、「一緒に死にましょう」というものだったからだ。そして実現するとすれば、やりとり通りに首吊り自殺だったはずである。いきなり、殺されることを承諾はしてない。被害者が実現しようとしたのは、殺害の被害者ではなく、「ネット心中」のはずだった。