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頂上作戦で試練にさらされていたヤクザたち

 一方、ヤクザ界は警察の三次にわたる頂上作戦(1964、70、75)で激震に見舞われていた。大組織の組長・幹部が一斉に逮捕され、日本国粋会をふくめ、稲川会、住吉会、松葉会などが次々と解散に追い込まれた。その後に組織は復活するものの、一部の有力政治家と接点を持っていたヤクザ界は、頂上作戦を機にその関係を断ち切られた。権力側からの暗黙の庇護を失ったヤクザは、時代の転換期を迎え、経済面でも試練にさらされた。どの組織にとっても新たなシノギ(資金稼ぎ)の開拓は急務だったのだ。日本国粋会も、その二次団体の金町一家も、三次団体の西戸組も例外ではなかった。

 山谷で曾祖父の代からドヤを経営する田中成佳(しげよし)が内情を語る。

「西戸(昂主・西戸組組長)さんは二代続く地元のヤクザ。西戸さんも若い衆も刺青(いれずみ)がびっしり入っていてね。ヤクザとしては本格派ですよ。シノギはよくわからないけど、掛け取り(債権取り立て)なんかはよくやっていたみたい。

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 争議団とぶつかったのは、要するに西戸さんが人夫(にんぷ)出し(日雇い労働者の派遣)を商売にしようと思ったからでしょう。もともと山谷では義人党(ぎじんとう[1992、解散])が人夫出しの手配師をたばねていたんだけど、西戸さんが若い衆を食わせるためにカスリ(利益収入)を増やさなきゃいけないから、それで始めたことだと思う。

 だいぶあとで日本国粋会の親分になった工藤(和義)さんは、当時は吉原で金竜組の親分をやっていましたよね。長い懲役から帰ったあとらしくて、この近所ではめったに見かけなかったね」

新たなシノギを生み出そうと必死だったヤクザ

©iStock.com

 金町一家は博徒として山谷一帯を縄張りとし、旦那衆相手の賭博開帳、路上博打、ノミ屋(違法の私設賭博)などをシノギにしている。傘下には西戸組、金竜組、志和組など複数の組織があり、それぞれが必死に新しいシノギを生み出そうとしていた。さらに山谷では義人党をはじめ、住吉会、松葉会、極東会、山口組など大手組織も勢力を持っており、山谷におけるヤクザの生存競争は厳しく、かつ複雑な様相だった。ヤクザが濡れ手で粟の大金をつかむバブル時代は、まだ少し先のことである。

 なお金竜組組長だった工藤和義は、のちに大出世を遂げた。金町一家七代目総長(1984、就任)を経て、91年には日本国粋会の四代目会長に就任(のちに國粹会に改称)。電撃的な六代目山口組への傘下入りでヤクザ界を仰天させ、最期は拳銃自殺という波乱のヤクザ人生を送ることになる。

ヤクザと過激派が棲む街

牧村 康正

講談社

2020年11月26日 発売