当の本人たちもM-1の予選中、やはりこのことに対する違和感を自らネタにしていた。まだ敗者復活戦が控えているので詳細は避けるが、誰も傷つけない漫才と賞賛されることに戸惑いつつも、その感じをうまく利用していた。
おそらく、ぺこぱは「誰も傷つけない笑い」を意識していたわけではない。松陰寺の人間性が、たまたまあのような気弱なツッコミを生んだのだ。
確かに、解釈の仕方によっては松陰寺のツッコミは優しい。しかし、「優しい=誰も傷つけない」は飛躍し過ぎだろう。
宮迫や渡部をネタにするナイツは「優しい」
そもそも芸人に求められている能力は、誤解を恐れずに言えば、誰も傷つけないことではない。
先日の『THE MANZAI』で時事ネタを得意とするナイツの2人が宮迫博之の闇営業問題やアンジャッシュ渡部建の不倫をこれでもかというほどネタにしていた。そして、大爆笑をさらっていた。
ナイツの芸人としての矜持を感じたし、芸人にとって必要な優しさがあるとしたならこういうことなのではないかと思った。
芸人である以上、ファンが望むものを見せなければならない。しかし、それによって誰かを貶めるようなこともできるならしたくはない。
スキャンダルをネタにしていることは一見、誰かを傷つけているように映るかもしれない。いや、実際、傷ついている人もいるだろう。しかし、当の宮迫や渡部にとっては、瑕疵を笑い飛ばしてくれることが何よりの救済になるのだ。
芸人に必要なもの。それは、普通の人が言ったらただ人を傷つけて終わってしまうことをエンターテインメントに変え、さらにはネタにされた本人にも利益をもたらす能力だ。それこそが賞賛されるべきだし、プロの技なのではないか。