昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/12/27

「歌舞伎町行って、ナンバーワン取ったぜ」と語るローランドの姿と100万円の入った財布に、周りは驚き「やっぱりすげえな」という言葉をかけてくれた。

「浅はかかもしれませんが、そういう言葉が聞きたくて頑張ってたんで、うれしかったですよね。このリアクションが欲しかったんだと。その言葉の一つ一つが自分を肯定してくれる要素になって。友達に地元のヒーローで、ずっとサッカーを一緒にプレーしていた、選手としても凄く優れたやつがいて、そいつの背中を追いかけて自分自身もやってきたんで、彼には特に『違う道かもしれないけど、俺もしっかりやってるぜ』というのは見せたかった。みんなが向けてくれた視線とか、かけてくれた言葉だったりとか、今でも鮮明に覚えてます。自分にとっては忘れられない日ですね」

 

 成人式の日の自分を振り返りながら、ローランドは苦笑した。「今ならやめとけよ、恥ずかしいぜって言えます。でもそれは、あの時の劣等感やコンプレックスが徐々になくなってきて、自分自身を認められているからだと思うんですよ。もちろん今でも直したいコンプレックスはありますけど、人前で『僕はコンプレックスの塊なんですよ』って言える時点で、昔より少しは前に進めているのかなと」

DeNA山﨑康晃との“約束”

 帝京高校時代に3年間同じクラスだったという、横浜DeNAベイスターズの山﨑康晃投手とは今も一緒に食事に行くなど、仲がいい。山﨑は高校3年時にプロ志望届を提出したが、ドラフトでは指名漏れとなり、亜細亜大へ進学後にプロとなった。

「僕も彼も高校時代、どちらかと言うと栄光の3年間ではなく、悔しい思いをしたことが多い3年間で、日の目を見ずに生きてきた側だった。よく二人で、いつか見返してやりたいよなという話もしてましたし。やってる競技は違えど、山﨑はアスリートとして見ても、すごく才能があるプレーヤーだと感じてたんで、彼が野球部で上手くいかなくてもうやめようかと悩んでいた時に、俺はサッカーの才能ないかもしれないけど、お前は絶対に続けたほうがいいぞと言葉をかけたんです。

 別にそれだけが理由ではないと思うんですけど、結局、野球を続けてくれたんで、すごく僕はうれしかったんですよ。いまの彼の活躍を見ると、彼自身がものすごい努力したのもそうですけど、たぶんあの3年間で彼の中でもすごい反骨心が培われたんじゃないかなって」

 

 ローランドと山﨑は高校時代、同じ思いを共有していたのだ。「俺たちは天才たちに引け目を感じて、彼らの陰に隠れて悔しい思いをしてきたんですけど、そんなことで人生あきらめられるかよっていうところはあって。漠然と天才たちに対しての反骨心だったりとか、見とけよっていう思い。俺はサッカー向いてないのもわかるし、たぶんプロにはなれないから違う道へ行くけど、絶対見返してやるから、お互い高みで会おうぜみたいな話をして。だから今こうしてね、お互い分野は違えど、しっかり人様から認められているという現状が、すごく僕はうれしい。あいつの活躍が刺激になって励まされているし、いい関係です」

「無駄な努力はない」と今なら言える

 プロになれなかった自分を嘆き、一時は努力なんか報われないと呪ったこともあった。だがローランドは若者に向けて「今だったら、無駄な努力はないと断言できます」と言い切る。

『ローランド・ゼロ』(宝島社)

「あのときに努力したことは直接サッカーへは結びつかなかったけれど、巡り巡って、反骨心という燃料に形を変えて僕を支えてくれた。だから努力は無駄じゃなかった。僕は昔から才能はあると言われていたから、もし中途半端な努力しかしていなかったら『もうちょっと頑張ってたらプロになれてたな』とか、そういうことを言うカッコ悪い人間で終わってたと思うんです。でも、全力出しきってなれなかったんだから、もう自分に才能がないということも理解できましたし」