ローランドが考える“成功者”とは?
そう語るローランドの声に、少しずつ熱がこもりはじめた。「おばけと一緒で、夢も未練があったら成仏できずに出てくる。努力不足だと、悪霊のように中途半端にずっと現れて、煙たがられて、怖がられる。でも、全力で頑張りきることができていたら、それが成功するしないにかかわらず、夢は成仏するわけじゃないですか。それなら、成仏できるように頑張れよと。そうしたら努力は全然無駄にならない、っていうのは伝えていきたい」
人のルールには染まらない。だが、好きなものはリスペクトし、そのルールの中で常識に挑戦していく、というスタンスだ。
「たとえばサッカーでも、僕は絶対にパスやシュートをしてはいけないというときでも、自分が違うと思ったら違う判断をしていました。それはホストでも一緒で、たとえば酒を飲むのがホストの常識だとされていても、僕はそれは違うと思っていたからノンアルコールで通した。でも、よくよく考えたら成功者って何かしらルール違反をしている人間なんですよね。人を傷つけるルール違反はもちろんよくないけれど、自分が正しいと思ったなら、仮に常識から外れたことでもやってみる勇気は必要なんじゃないのかな」
一方で、世間のローランドへのイメージが一人歩きしているのも感じている。「僕、メディアに出続けることにそこまで興味がないんですよ。でもやっぱり目の前に喜んでくれる人たちがいると、人前に出た瞬間、絶対にこの人たちを喜ばせたいなってスイッチが入るんですよ。すると、出たからにはしっかり楽しませてから帰ろうとか、すごくストイックに考えていますね」
「ローランドはあくまで凡人」
華やかなだけの男じゃない。この“ローランド”という器用な自己演出は、彼の意外なほど不器用で泥臭い努力の積み重ねの上に築き上げられてきた、ということなのだろう。
「そんな誇れるような、大した人間じゃないです、本当にもう。それっぽく見せるのは得意なんですけど、自分を掘り下げてみるとけっこう適当なんで。ただ僕は言葉に対してのアプローチはかなり完璧主義で、そこは自信がある。心からいいものを作りたいし、いい言葉を言いたいんです」
「俺か、俺以外か。」などの彼らしい名フレーズも、「本当の天才は短い言葉で人の心を掴める」というローランドの信条から、本人が常に頭の中で言葉と取り組む過程で生み出したものだという。
最後に、ローランドは「日本中の“何者かになりたいけれど何者でもない凡人たち”の代表になりたい」と語った。
「僕自身、天才に劣等感を持つ普通の人間だったんですよ。現に挫折してすごく屈辱を味わった。かといって歌を歌えるわけじゃないですし、ダンスができるわけでもない。そんな自分が成功している背中をみんなに見せられたら、なんか俺でもいけんじゃんって思ってもらえるじゃないですか。今回『ローランド・ゼロ』という漫画で半生を振り返ってもらったときに、一緒に天才たちをぎゃふんといわしてやろうぜ、っていう思いが自分を奮い立たせてくれていたのを思い出しました。ローランドはあくまで凡人。その凡人代表としてこれからも頑張っていきたいなと思います」
そう言うと、ローランドは非凡な風体で微笑した。
撮影=山元茂樹/文藝春秋
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