文春オンライン

「トップクォークが見つかるか賭けをしないか」小柴昌俊さんは優しく厳しい“親分”だった

2020/12/22
note

 小柴氏は、戸塚氏への弔辞で「跡取りの教え子たちに次々と先立たれる私は、世の風評とは逆になんと不幸な教師なのだろうと嘆かざるをえません」と述べている。実際、山田氏と同期の折戸周治氏も、戸塚氏と同期の成瀬庸介氏(修士課程修了後、ソニーに就職)も、最初に助手として採用した須田英博氏(後に神戸大学教授)もすでに亡くなっていた。

「次々と弟子が亡くなって小柴先生はショックだったでしょうね。初期のメンバーで残っているのは僕だけです。初期の小柴研究室は実に家族的な雰囲気で、小柴先生はきめ細かく指導してくれました。週1回の雑誌会でかわるがわる新着論文の紹介をしましたが、小柴先生も厳しい質問をされ、立ち往生すると『もう一回やり直し』を命じられました。上級生も負けじと質問したため、新入の大学院生には大変な試練で、何日もかけて準備していました。勿論、雑誌会が済めば、また和気あいあい、一緒に昼食に出たものです。その中の何人も亡くし、まさに家族を失う思いだったでしょう」

素粒子物理学分野のゴッドファーザー

 弟子の相次ぐ死に打ちのめされる中でも、戸塚氏とともにスーパーカミオカンデ実験に取り組んだ梶田隆章氏(東京大学宇宙線研究所所長)の2015年ノーベル物理学賞受賞は、嬉しかったに違いない。現役の弟子たちの多くは、宇宙線研究や加速器実験の分野で指導的役割を果たしている。小柴氏を日本の素粒子物理学分野のゴッドファーザーと呼んでも差し支えないだろう。

ADVERTISEMENT

©文藝春秋

「院生の仲間内では、小柴先生のことを『親分』と呼んでいました。弟子の面倒見も親身でしたから、まさに親分という雰囲気の人でした。小柴先生がまだ30代の頃だと思いますが、研究室の旅行先で宿の人に『職業は何だと思う?』って訊いたら、研究室のスキャナー(素粒子の痕跡を調べる作業をする人)など女性メンバーが数人同行していたせいか、『お針(裁縫)の先生ですか』と言われたそうです。『大学の先生には見られなかった』と嬉しそうに話していました。先生は目力もあるし、話し方にも迫力がある。弟子たちはみんな一度は、『実験資材の値段はもっとギリギリまで値切れ』と怒られた経験があります。その心は税金を使ってることを忘れるな、ということです。実際小柴先生の値段交渉は厳しかった。そういうシヴィアなところもある反面、笑顔が素晴らしく、若い頃はバッハを口ずさみ、モーツァルトを慈しむようなところもあった」

 裁縫の先生と、メーカーとの価格交渉に厳しく臨む素粒子物理学界の親分。何とも不思議な取り合わせである。しかし小柴氏の人間的奥の深さ、幅の広さは、巨大科学プロジェクトを成功させようと周囲の人を巻きこむ重要な要素だったように思える。

「トップクォークが見つかるか賭けをしないか」小柴昌俊さんは優しく厳しい“親分”だった

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー