文春オンライン

「今日やらないと、チャンスは二度とないのかも」 夫殺しの中国人“毒婦”が迎えたXデー

『中国人「毒婦」の告白』#15

2021/01/02
note

音のない居間で思う「私のここでの生活って何?」

 詩織は2階にあがり電気毛布の電源をいれ、風呂から出た茂の体全体に、火傷のクスリを塗り、布団に寝かせた。

 再び階下に戻り、手早く夕食の準備をし、お茶とともに、お盆にのせて2階に運ぶ。最近では茂の体を冷やさないように布団の中で食事をさせることが多いのだ。食事の後、熱があったので茂に風邪薬を飲ませた。クスリを飲み終えると茂はすぐに横になった。

「お茶はどうする?」

ADVERTISEMENT

「そこに置いて」

 詩織はドアを閉め1階に戻って風呂に入ると、居間で一人静かに梅酒を飲み、タバコを吸った。テレビのお笑い番組がひどく煩わしく感じられスイッチを切った。詩織は宇多田ヒカルの歌を聞きたいと思ったが、CDは、火傷騒動のとき、誰かが足で踏み壊れてしまっていた。

©iStock.com

 詩織は、その音のない居間でまた思った。

「私のここでの生活って何?」

 04年3月31日。

 朝、茂の熱を測ると、38度近くあった。

「今日は休むベ。頭が痛い」と茂がいった。

「風邪ならば休むのが一番。今日は休みましょう。私が腕によりをかけるから何か食べたいものはある?」

「私に本当にできますか?」

 今晩は、茂を風呂に入れないで、布団の中で汗をかかせれば風邪は治ると詩織は思った。そんな時、詩織は突如、とても重要な、あのことを思い出したのだ。

〈この様子だと、茂さんは明日も休む必要があると思います。それなら、私には、やるべきことが、あるではありませんか。それを忘れかけていました。彼が風邪をひいたときに私がやらねばならないこと。どうしますか? 私に本当にできますか?〉

©iStock.com

 詩織の計画は、クスリ(インスリン)を打って茂の体を弱らせ、その上で離婚と親権の話をすれば、体力、気力ともに弱まっている茂は、法的に争うことも子どもを隠したりすることもないだろう、というものだ。ただ、インスリンは注射なので、茂が普通に寝ているだけでは痛さで目を覚ましてしまうだろう。だから睡眠薬を飲ませて熟睡しているところにインスリンを打つ。

 冷静に考えれば、すぐに発覚する、計画ともいえないような計画だ。離婚をし、子どもの親権を得たいだけならば、既に日本の国籍を得ていた詩織は、法的に争っても必ずしも負けるわけではない。それに子どもたちは中国にいるし、茂が無理やり連れ戻しに行っても、母や親戚の者たちが、そう簡単に応じるはずもない。さらに、詩織は風俗のアルバイトで金を稼ぐことを知っていたし、そうした場所で自分の商品価値が高いことも承知していた。だから黙って家を出て子ども達に送るだけの金を稼ぐこともできた。しかし詩織は「茂さんが風邪をひいたときに私がやらねばならないこと」に拘泥していた。