注射の痛みが恐ろしい
〈私は今夜も自棄酒を飲み始めました。梅酒です。注射は私にはできません。正確にいえば怖かったのです。小さいときから、よく熱を出し注射をされました。あの痛みが恐ろしいのです。針に抵抗があるのです。私は小学校5年生になっても、注射の日には物陰で泣いていました。
長男が予防接種を受けたときも、私は子どもを抱きしめながら自分が泣いてしまったほどです。私は、多分他人に注射する前に、失神してしまうでしょう。久美子さんからクスリを受け取った時は夢中で、針が苦手だということを思い出せなかったのです。
夜もふけ、梅酒がつきたところで就寝しましたが、怖い夢を見ました。
黒い獣のようなものが大きな声で怒鳴っており、私は必死で逃げています。あまりの怖さに目覚めると、茂さんが、お茶が飲みたいと私を呼んでいたのです。
私は「ちょっと待ってね」と返事をして、胸の動悸を静めてから、お茶をいれにいきました。その時の茂さんの声は本当に怖かったです。〉
そして運命の04年4月1日を迎える。
もし今日やらないと、チャンスは二度とないのかもしれません
〈普段と同じように朝食を作りました。その合間を利用し、茂さんが脱いだ下着を洗いました。それからご飯を2階に運び、風邪薬を飲ませました。昨日よりは熱は下がったようですが、今日も休んだほうがよさそうです。
午前中は家事に忙殺されました。浴室を洗って、シーツや毛布を洗い、1階の掃除をしました。再び昼食を作り、茂さんに食べさせ、また風邪薬を飲ませました。私は昼食も食べず、近くの葡萄の木を剪定します。葡萄の木を切りそろえると心がなぜか落ち着きます。4時を過ぎたので、風呂を沸し始めました。
風呂は薪で沸します。薪の風呂が好きな人は、誰でも大歓迎ですよ、などと考えていたら茂さんの友人、梶田さん(仮名)がぶらりと訪ねてきました。風邪をひいて寝ているというと、すぐ帰りました。
そうこうしているうちに夕方になりました。
茂さんに「何を食べたいですか?」と聞くと、「竹の子」といいます。
「竹の子ないよ。そういえばさっき梶田さんがきて、風邪が治ったら竹の子一緒に採りにいこうと言っていたよ」
「おー」
茂さんは嬉しそうに頷きました。私は、何か栄養がある食べ物をと思い、冷蔵庫の中のすみからすみまで探し、肉と野菜で「お鍋」を作りました。
その時、私は再び、“することがある”と思い出したのです。そう睡眠薬です。でも考えただけで慌てて、何か陰でこそこそしているような気分に囚われました。だから1階で私はウロウロしていました。でも、息苦しく蒸し暑く、なかなか考えがまとまりません。
茂さんはめったに風邪などひかない人です。彼が風邪をひいたときしか睡眠薬は使えません。
もし今日やらないと、チャンスは二度とないのかもしれません。