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「1軍じゃない1.5ぐらい」のポジショニング

「学生時代のポジショニングというか、1軍じゃない1.5ぐらいで。2人とも田舎もんで、東京への乾きというか。とにかく東京行って、高校時代はまだ本番じゃないみたいな」(『あちこちオードリー』テレビ東京系、2020年10月13日)

 クラスで誰もが一目置く「1軍」ではなく、かといって目立たない「2軍」や「3軍」でもない。「1軍」の同級生たちに、羨望と嫉妬と恭順と反骨が折り重なった複雑な眼差しを注ぐ。そんな「1.5軍」からのスタートは、その後の彼らの芸人としての歩みを振り返ると示唆的である。

ツッコミ担当の屋敷裕政 ©山元茂樹/文藝春秋

「ネクストブレイク」での足踏み状態が続いたワケ

 さて、芸人としてデビューし、劇場の中でも若手の有望株となった彼ら。“次世代のリーダー”として推される時期もあった。結成からわずか3年後、2013年には若手芸人を集めたフジテレビのバラエティ番組『バチバチエレキテる』のレギュラーに抜擢された。しかし、番組は6か月ですぐに終了。約束されたかに見えた全国区の人気芸人への道は、早々に途切れることになった。

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 そこからも、彼らは常に「ネクストブレイク」と呼ばれてきた。ただ、チャンスを掴みきれない日々が続いた。嶋佐いわく、「ゲッターズ飯田さんは、2016年に僕らが売れるっていって、めちゃめちゃ外した」(『関ジャニ∞のジャニ勉』関西テレビ、2020年12月2日)。

 そうこうするうちに、後輩からも「やがてはゴールデンのMCを担っていくであろうと期待されつつも、未だに賞レースで結果が出ない」「(吉本が)推すのが早いからネタに集中できなくて、いま低迷してる」などとイジられ始めた(『ゴッドタン』テレビ東京系、2017年9月9日)。

©山元茂樹/文藝春秋

 なぜ、「ネクストブレイク」での足踏み状態が続いたのか。屋敷はこう自己分析する。

「ハネもスベリもしなかった。(テレビ番組の)収録が90分のサッカーの試合やとしたら、オンエアはサッカー番組のダイジェストみたいな感じなんですよ。ダイジェストって、鮮やかなゴールを決めたところか、めちゃくちゃ怪我して血を出したとこだけ流れるじゃないですか。

 オフサイドならないように動いたとことか一切使われないじゃないですか。俺らずっとオフサイドにならないように(動いてた)」(『アメトーーク!』テレビ朝日系、2020年10月22日)

 そんな彼は、徐々にテレビで「血を出し」始める。