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「事務所をクビになりかけたことはありました」 M-1決勝進出ウエストランドが振り返る芸歴12年の波乱万丈

ウエストランドインタビュー#2

2020/12/19
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「あっ、やっぱり間違ってなかったんだ」って思えたんですよね

――河本さんは、解散を考えたことはないんですか?

河本 僕からはないですね。よく先輩にかわいがってもらっていたんですが、その先輩みんなから「井口はおもしろいから、絶対に辞めるなよ」って言われてきたので。あと、自分の両親がすごく固いんですよ。なので、ずっと「芸人、辞めろ」って言われていたんですが、お笑い以外で働く自信がなかったんですよ。芸人以外できないと思ってここまで来たんで。

 

井口 すごいやってるやつのスタンスで話してるけど、お前はお笑いもやってないからな! 

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 親が厳しいとかじゃないんですよ。こいつがあまりにもやっていないから、芸人辞めろっていうより、もうちょっと真面目に頑張ってくれってことだと思いますよ。職業関係ないですよ。

――ただ、やはり12年という芸歴のなかで順調なことばかりではなかったと思います。芸人を辞めようかなと考えてしまう時期もあったのでは?

井口 そうですね。2012年にTHE MANZAIの決勝にあと一歩のところでいけなくて、その翌年には『いいとも』のレギュラーに抜擢して頂いたのに、結果を残せませんでした。

 でも、芸人仲間がいたので辞めようとかは思いませんでしたね。三四郎さんはテレビに出る前からずっと仲良くさせてもらっているんですが、「お前らがやっているのは絶対におもしろいから」ってずっと言ってくれていたんですよね。

 そういうことをお互い言い合っていたので、三四郎さんがブレイクした時に、「あっ、やっぱり間違ってなかったんだ」って思えたんですよね。なので、芸人仲間がいなかったら心が折れて、芸人辞めてたかもしれないですね。

――河本さんは心の支えとなったものはありますか?

河本 僕も井口と同じです。

井口 楽するな(笑)。

 

【続き】ウエストランドはM-1決勝“爪痕残しそう”枠? 「今回何も残せなかったら、また潜らなきゃいけない。恐怖心はでかいです」を読む

写真=山元茂樹/文藝春秋

ウエストランド井口浩之(ツッコミ担当)と河本太(ボケ担当)のコンビ。井口は1983年5月6日岡山県出身。河本は1984年1月25日岡山県出身。中学校からの同級生で、高校で同じサッカー部に入部し、2008年に結成。

新生M-1では16年、17年、19年に準々決勝進出。18年は準決勝進出。20年に所属事務所であるタイタンとしても初となる決勝進出を決めた。

「事務所をクビになりかけたことはありました」 M-1決勝進出ウエストランドが振り返る芸歴12年の波乱万丈

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