コロナ禍に揺れた二〇二〇年、天皇皇后両陛下が国民に直接語りかける機会は少なかった。メッセージを発するタイミングを逸したのではないか。そんな報道さえ見られたが、お二人の真意は別のところにあった。
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コロナについて多く割かれた雅子さまのお言葉
〈今年は、特に命の大切さ、尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました。(略)新型コロナウイルス感染症の終息を願うとともに、国民の皆様が心を寄せ合い、この困難な状況を乗り越えていくことができますよう心から願っております〉
十二月九日、五十七歳の誕生日を迎えられた雅子皇后陛下は、この一年のご感想をこのように述べられた。文書の量は昨年の一・五倍。その大部分がコロナウイルスによる被害についてのお言葉だった。
十一月に執り行われた「立皇嗣の礼」を最後に天皇のお代替わりに伴う儀式や行事を無事に終えられたことについても、〈安堵しております〉と綴られていた。
コロナ禍により誕生日の恒例行事はすべて中止となり、雅子さまは皇室入りされて以来、初めてご一家だけの静かな夜を過ごされた。
二〇一九年(令和元年)五月に天皇陛下が即位され、雅子さまは皇后としての務めを果たされてきた。翌二〇年(令和二年)の年明けは、十七年ぶりに「歌会始」に出席なさるという順調な滑り出しだった。
行事や公務のほとんどは縮小、中止・延期
当初、四月には皇位継承に伴う一連の儀式の最後となる「立皇嗣の礼」があり、その後、両陛下は即位後初の外国訪問で英国に行く予定だった。帰国後は国内地方への行幸啓も多くなさる予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で行事や公務のほとんどは縮小、中止・延期となった。
二〇二〇年も終わろうとしている十二月になっても、未だ感染拡大状況は収まりがなく、終わりは見えない。新年の一般参賀も中止となった。国民との触れ合いが少なくなった令和皇室には、大きな変革が迫られていた。