陛下が二十五歳のときに語っていた“皇室の在り方”
陛下は、一九八五年、ご結婚前の二十五歳のとき、留学先の英国で皇室の在り方を宮内記者たちに問われて、こう述べられている。
「一番必要なことは、国民と共にある皇室、国民の中に入っていく皇室であることだろうと考えます。そのためにはできるだけ多くの日本国民と話すなど、接する機会を作ることが必要だと思います」
国民の中に入っていく公務――。そのお考えは、雅子さまとご結婚されてからはより鮮明になった。上皇ご夫妻が作り上げられた“平成流”が「国民のために祈り、共にある皇室」だとすれば、“令和流”はさらに目線を落とされ「国民と対話をなさりながら共感し合う」というスタイルと言えるだろう。
「現場を優先してほしい」
コロナ禍の四月六日、政府の新型ウイルス感染症対策専門家会議副座長(当時)の尾身茂氏のご進講を予定していたが、翌七日から七都府県に緊急事態宣言が出されることとなったため、陛下から「現場を優先してほしい」と延期が申し伝えられた。極めて異例なことだった。
尾身氏のご進講は十日に実現したが、その日の両陛下のご様子について尾身氏は、
「医療崩壊とはどういうことであるのか、回避するにはどういうことが必要なのかとお尋ねになられ、陛下は何度も『国民が一丸となって乗り越えなくてはならない病気なんですね』とお話しになっていました。治療薬や診断薬にもご関心をお持ちでした。
皇后陛下も『大変な、皆さまご苦労様です』と医療現場について話されて、SARSのことやヨーロッパでロックダウンもしているが、日本の場合は接触を八割減らすということで、その理由についてもご質問を受けました」
と宮内記者らに語った。
※記事後半では、天皇皇后陛下がコロナ禍の中、メッセージを出さなかった真意が取材で明らかに。全文は発売中の「週刊文春WOMAN 2021創刊2周年記念号」にて掲載。