2020年の言葉。いろいろあるなぁ。
そういえば「日本モデル」って覚えてますか。安倍前首相が5月25日の記者会見で誇らしげに語った言葉。新型コロナウイルスについて、
「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」(産経ニュース5月25日)
感動的です。
しかしこれ、実は定義がよくわからなかった。当時私はいろいろ探したのですが新聞では読売がきちんと書いていたぐらい。
《日本モデルとは、外出自粛や休業などを強制せず、感染防止策ではPCR検査による感染者割り出しよりもクラスター(感染集団)対策を重視する手法を指す。》(5月27日)
今となってはなんだか懐かしい。2020年の幻の言葉というべきか。
東京オリ・パラは「コロナに打ち勝った証」
フワッとした言葉はまだある。「コロナに打ち勝った証」。
東京オリンピック・パラリンピックについて「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として開催したい」と安倍&菅首相がよく言っていたアレ。
そもそも勝ち負けの話なのか。いや、勝ち負けの話だとしたら「審判」は誰なのか。例によって審判も自分たちなのでは。
ちょっと思い出すだけでも内閣法制局長官の件、東京高等検察庁の黒川弘務前検事長の定年延長の件など自分たちでシステム(審判)を決めていた無敵の8年間が続いた。
この“余裕”は国会での言葉の価値を徹底的に下げてしまった。よりによって国会で。解釈なんでもあり、ツッコミをくらっても答弁をはぐらかす。公文書は破棄、改ざん。そして最後は「お答えは差し控える」。言い訳しようとする努力すらしなくなった。