「私が目指す社会像。それは自助、共助、公助、そして『絆』であります」

 2020年9月14日、安倍晋三氏の後任の自民党総裁として選出された菅義偉氏は、決意表明のなかで、こう語った。

「まずは、自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族で助け合う。その上で、政府がセーフティーネットで守る」

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 その後も記者会見や所信表明演説などで、同じ発言を繰り返している。菅首相の一連の発言は、私がひそかに抱いていた「新内閣の誕生でほんの少しでも潮流が変わればいい」といった期待を、容赦なく打ち砕くものだった。

2020年9月14日、自民党の新総裁に選出された菅義偉氏 ©AFLO

「自己責任論」をより強固なものにする発言

 彼の発言になぜ落胆したのかを綴る前に、まずは念のため、ひとつひとつの言葉の意味を整理しておく。

「自助」とは、自分の身は自分で助けること、他人の力を借りることなく、自分の力で切り抜けることである。「共助」とは、地域や周りの人々と互いに助け合うこと。そして「公助」は行政による救助、支援を意味している。

「まずは、自分でできることは自分でやってみる」と発言していることから、菅首相は国民に対して「自分の身は自分で助ける“努力”」を最優先に期待しているのがうかがえる。そして国民同士で助け合い、それでもカバーできない人々については行政によるセーフティネットで守るというように、国民同士の「絆」、そして行政との連携を強める社会の実現を公に掲げた。

 一聴するとさらりとしていて聞こえの良い言葉のようだが、私にとって菅首相の発言は、現代社会に深く根付いている「自己責任論」をより強固にする、暴力性をはらんだものに思えてならない。

「負け組」へのヘイトが高まる2000年代

 日本では2000年代ごろから、特に経済的な困窮にある貧困層に対して「自業自得である」という風に、窮地に立たされている人々の責任をいち個人のものに落とし込もうとする「自己責任論」が台頭しはじめた。

 自己責任論が世間に広く浸透した背景には、小泉政権下での労働法改正による非正規雇用の拡大、ワーキングプアなどの問題が多発したのを皮切りに、「努力していれば貧乏にはならない」といった言論があたかも「真理」であるかのように語られ、大きく注目を集めたためだ。

 当時、若手経営者や起業家など、いわゆる「成功者」の自伝や自己啓発本が次々とベストセラーとなり、多くのメディアが「勝ち組」「負け組」といった言葉をやたらと多用して、国民同士の競争を扇動していた。