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警戒心をむき出しにしていた男性だったが……

 しかし、彼からのメッセージは「助けてほしい」というものではなく、どちらかと言えば「世の中に対する恨み、怒り」をぶちまける内容のものだった。「何が生活保護だ。こんな目に遭っていても誰にも助けてもらえない人間の苦しみが、お前たちにわかるはずがない」と綴られた文章からは、理不尽な社会に対する絶望や悲しみ、怒りの感情がひしひしと伝わってくるようだった。

「これはただ事ではない」と思い詳しい事情を聞こうとすると、はじめは警戒心をむき出しにしていた男性だったが、住んでいる地域や現在の状況に至った経緯など、少しずつ自分のことを教えてくれた。おかげでその日じゅうに男性を福祉事務所に繋げることができ、男性が住むアパートを職員が訪問、支援が受けられることになった。もしも彼が連絡をくれなければ、そして連絡をした相手がそのメッセージがSOSだと気づかず、「単なる誹謗中傷」として見過ごしていれば、男性はどうなっていたのだろうか――。

 そして彼同様、今日明日食べるものがないほどに困窮しているにもかかわらず、支援にたどりつけない人々は一体どれくらいの数いるだろう。ここ数ヶ月だけでも、生活苦による一家心中や、住宅で親子が餓死した状態で発見されるニュースが連日のように報じられている。

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 このように支援が行き届いていない状況や、「自己責任論」のもたらした悪影響がどれほど深刻なものかを知っていれば、おそらく新内閣誕生のあの場で「まずは、自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族で助け合う」という言葉がはじめに出るはずもなかっただろうと思う。

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これ以上国民にどんな「努力」や「助け合い」を求めるのか

 ましてや、昨今では自己責任論が疑問視されはじめ、メディアやSNSなどで怒りの声が噴出しているなかでの発言は、弱者を切り捨ててきた政府の姿勢に対し、国民の反発がかつてないほどに高まっていることにも気が付いていないのかもしれない。

 これでは、支援が必要なのにもかかわらず届いていない人に対し、行政などが積極的に働きかけて情報や支援を届ける「アウトリーチ」やセーフティネットの強化・拡充はしばらく見込めそうにもない。

 既存の社会構造のなかで自分でやれることをすべてやりきってもなお、孤立し、公的支援にたどり着けずに死んでいく者たちから目を逸らしている政権が、「絆」などという美辞麗句を掲げ、これ以上国民にどんな「努力」や「助け合い」を求めるのだろう。

 新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、多くの人が経済的危機にさらされている状況下において、新内閣総理大臣である菅氏が船出の場で「自助」発言をしたことで、政権の関心がいかに貧困問題に向いていないのか、早くも露呈する事態となった。

 そういう意味では、菅首相の「私が目指す社会像。それは自助、共助、公助、そして『絆』であります」発言は、2020年でもっとも衝撃的で、最悪なものだったように思える。