昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇。「安藤組」を立ち上げて昭和の裏社会と表社会を自由に行き来し、数々の伝説を残した。安藤組解散後は俳優に転身し、映画スターとして活躍。そんな安藤昇の一生を記した作家・大下英治氏の著書『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』(宝島SUGOI文庫)より一部を抜粋し、伝説のプロレスラー・力道山と安藤組が対立した経緯を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇 ©文藝春秋

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「力道山はかならず連れて来るんだぞ」

 東富士(元横綱のプロレスラー)は、力道山より大きい体を折り曲げるようにして、丁重に言った。

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「わたしが力さんの代わりに話をさせていただきますので、明日の3時、銀座の資生堂で待っていていただけますか」

「わかった。その代わり、力道山は、かならず連れて来るんだぞ」

 花田瑛一(安藤組の大幹部)ら7人は、翌日、車4台に分乗して、銀座8丁目の資生堂パーラーに向かった。懐には、全員拳銃を忍びこませていた。

 2階の資生堂パーラーに、約束の時間より10分早い2時50分に入った。

 東富士が、すでに来て待っていた。そばには、やはり相撲から転向した豊登(とよのぼり)、芳の里(よしのさと)、それに安倍治らテレビで観る連中が、陣取っていた。彼らは、6人であった。が、なにしろ巨体ぞろいなので、倍の12、3人いるように映る。

 力道山は、来ていない。

 花田が、険しい表情で訊いた。

「力道山は、どうした」

 東富士が、申しわけなさそうに言った。

「力さんは、都合があって、どうしても来れない」

「都合? あれほど約束しておきながら、どうして逃げまわっているんだ」

「とにかく、まわりにこれだけ人がいては話しにくい。渋谷あたりのどこか静かなところで話せませんか」

「わかった」

 花田は、渋谷の円山町の料亭に、部屋をとらせた。その料亭に、そろって車で向かった。

いくら包んだら許してもらえるのか

 東富士の車には、大塚稔(安藤組の大幹部)が乗りこんだ。東富士が、車中で、困りきった表情で懇願した。

「なんとか、解決の糸口を見いだしてほしい」

「………」

「お金ですむことだったら。しかし、いくら包んだら許してもらえるのかわからない」

「恐喝じゃないんだから、いくら出せとはいわない。ただ、悪いと思ったら、包んだらいいんじゃないの」

 大塚の肚(はら)の中は、金銭での解決の場合の額は決まっていた。50万円――。それ以下の金額だったら蹴ろうと決めていた。

 東富士は、一瞬考えていた。

「100万円つくる」

 大塚は、東富士と接していて、彼の人柄の良さがよくわかった。力道山には頭にきても、東富士への憎しみはなかった。

 大塚は、東富士の誠実さに免じて、彼を救ってやることにした。

「100万円という話は、おれは聞かないことにする。50万円つくれ」

 大塚は、釘を刺しておいた。

「しかし、あんたが100万円つくるといったのに、おれが50万円といったことが知れるとヤバイ。あくまで、2人だけの話にしよう」