最終決戦での得票数は、マヂカルラブリーが3票、おいでやすこがが2票、見取り図が2票。1票差で逃げ切ってマヂカルラブリーが16代目王者となった。
松本人志が書いた歌詞に“ヒント”があった?
今年の決勝では、正統派の漫才師が少なかったからこそ、逆説的に「漫才とは何か」という問いが改めて注目されることになった。大会が終わってからも、ネット上では「マヂカルラブリーのネタは漫才と言えるのか」といった議論が交わされたりしている。
この問題について考えるとき、私は松本人志が書いた『チキンライス』という歌詞の一節を思い浮かべる。その中で「親孝行とは何かを考えることが親孝行なのかもしれない」という趣旨のフレーズがあった。それになぞらえて言うなら、漫才とは何かを考えることも、漫才の一部なのではないかと思う。
『M-1』の審査員たちは、どの芸人が面白かったか、漫才とは何か、面白いとはどういうことか、といった芸人の人生を変える問いに真剣に向き合い、考え抜いた末に1つの答えを出す。彼らの出した答えが世の中を動かし、議論を喚起し、賛否両論の嵐を巻き起こす。
『M-1』で戦っているのは出場する芸人だけではない。審査員も、審査員を審査する目で見る視聴者も、観客も、マスコミも、誰もが漫才の熱狂の渦の中にいる。そう、これが『M-1』なのだ。
「漫才をやることの幸せと漫才を見ることの幸せ」
あれは漫才か、漫才じゃないか。面白いか、面白くないか。そんな他愛もない話題で日本中の人々があれこれ言い合う光景は「平和」以外の何ものでもない。
3時間半に及ぶ『M-1』の生放送を見終わった後、ふと思った。この3時間半の間は、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスのことを少しも考えなかった。なんという貴重で贅沢な時間だったのだろう。
コロナ禍という特殊な状況下で行われた今年の『M-1』は、漫才に溺れることの幸福をいつになく実感させてくれた。決勝の最後に審査員の松本が残した「漫才をやることの幸せと漫才を見ることの幸せを今回は特に感じました」という言葉を深く噛み締めたい。