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彼らの漫才は果たして漫才なのか?

 彼らは予選からもっともウケ続けていたコンビだ。

 だが、優勝予想において、その名があがることはほとんどなかった。それは彼らのネタは果たして漫才なのかという懐疑が常に付きまとっていたせいだろう。

 彼らが勝った今もなお、メディアでは、その点について、さまざまな論争が起きている。

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今年決勝唯一の関西系しゃべくり漫才だった見取り図 ©M-1グランプリ事務局

 だが、その判断は、5年後、10年後に委ねてもいいのではないか。

 漫才は、日本の伝統芸能の中で最強といっていいだろう。いや、もっと言えば、伝統芸能の中で唯一、「現役」を続けている。

 それは今のテレビ界を見れば歴然としている。ダウンタウンを筆頭に、漫才で活躍した芸人たちが、さまざまな分野の中心に居座っている。

 漫才が今も現役を続けられる理由は、変化を拒まなかったからだ。

 古典芸能だった「萬歳」の流れを汲む漫才は、その昔、和服でやるのが当たり前だった。その風習をぶち壊したのが、初めてスーツを着て舞台に立ったと言われるエンタツ・アチャコだ。1930年代に活躍し、「近代漫才の父」と呼ばれるレジェンドである。

 彼らがスーツ姿でしゃべる姿は当時、ものすごい違和感があったはずだ。落語家がスーツを着て、立って話すようなものである。

漫才の未来はどこへ進む…? ©M-1グランプリ事務局

「伝統に固執しない」ことが漫才の立ち位置を作った 

 漫才が伝統に固執し、今も変わらず和服を着ていたら、国民的エンターテインメントと呼ばれるような現在のポジションにたどり着いていなかったはずだ。

 マヂカルラブリーのスタイルは今は、違和感があるかもしれない。しかし、何年後かに、マヂカルラブリーの出現によって、漫才はさらにパワーアップしているかもしれないし、反対に、やはり漫才という演芸に馴染まないのであれば彼らのようなスタイルは自然淘汰されているに違いない。

 漫才ほど「生きる」ことに貪欲な芸能はない。合うか合わないかは、漫才が、M-1が、自らジャッジを下すはずだ。

 マヂカルラブリーのネタは漫才であるか否か――。その答えを出すのは、少なくとも今である必要はない。