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「一番盛り上がっていたのは81年頃かな。“肩と肩がぶつかるほどの客で溢れかえっていた”というのも本当。当時はまだ、メイン通りにヌードスタジオ(小規模のストリップ劇場)が2軒あった。置屋も13軒あった。宴会が夜9時頃に終わると団体客が酔った勢いそのまま、一斉に外に繰り出してた」

 彼女らの証言などによって、売春島の最盛期は70年代半ばから90年までだと考えられる。

 人口わずか200人、周囲約7キロの小さな離島に、ホテルや置屋だけでなく、居酒屋、喫茶店、カラオケ、パチンコ、ヌードスタジオ、ゲーム喫茶、裏カジノまであった。まるで小さな新宿・歌舞伎町だったのだ。

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店舗内に残っていた裏カジの備品の無線機やレートの書かれたプレート(筆者提供)

船着場で客引きのオバさんが手ぐすねを引いていた

 そんなバブル崩壊前の売春島に思いを馳せ、当時を体験した男たちを追った。娼婦には、ヤクザやブローカーにより島流しにされた壮絶な舞台裏があったように、客側にも当時について思うことがあるだろう。

 大阪在住の前田さん(71歳、仮名)は1989年の夏、売春島に渡った。関西のソープや新地を遊び倒す好事家だったが、この島のことは耳に入っていなかったという。当時は、まだ知る人ぞ知る存在だったのだ。

 きっかけは訪問の数年前に目にした週刊誌のモノクロのグラビアページだった。小さなスペースに、「女護ヶ島(にょごがしま)」とのタイトルで、渡鹿野島が写真とともに紹介されていた。そこから得た情報は、その所在地と「売春で成り立っている島」という情報だけ。好奇心と恐怖心が交錯したという。

島にあった客引きに注意を呼びかける看板(著者提供)

「さすがに怖いから、友達を誘って2人で行きました。対岸の船着場では、客引きのオバさんが数名、手ぐすねを引いて待っていましたね」

 島に降り立ち感じたのは、荒廃したホテルや旅館やアパートが醸し出す“ヤバさ”ではなく、バブル期の熱海のような煌びやかなネオンと欲望むき出しの男たちが発する熱気が相まった“桃源郷”と呼ぶに相応しい華やかさだ。