公然と売春が行われる“ヤバい島”として、タブー視されてきた三重県の離島・渡鹿野島。「売春島」と呼ばれているこの島の実態を描いたノンフィクションライター、高木瑞穂氏の『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社)が、9万部を超えるベストセラーとなっている。

 その後も取材を続ける高木氏が、最盛期に訪れた経験のある客たちの視点で、渡鹿野島の当時の状況に迫った。(全2回の2回目。#1から続く)

“売春島”中心部の夜の様子(著者提供)

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「売春島」に3度、渡った男

 大阪在住の前田さん(71歳、仮名)は計3回、売春島に渡っていた。前編で紹介した1回目の渡航の2年後、1991年ごろに再訪したが、状況は変わらずだったと懐古する。

「この時は1人で行きました。別の置屋でまたロングを選び、20代のフィリピン人。当時は1989年に一斉摘発されるまで続いた奈良・大和郡山の『郡山新地』もフィリピン人ばかりだった。フィリピンの子は気立てが良く、働き者だから重宝されていたんです」

「売春島」と呼ばれた渡鹿野島(著者提供)

 かつてヤクザ組織に属していた元置屋経営者の男性は、渡鹿野島と奈良県の関係をこう証言する。

「奈良にも置屋が立ち並ぶ売春が盛んな地域がありました。そこから連れてきた女のコが多かったそうです。A組は、その置屋街の仕切り屋でした。売春を商売にすれば、やはりヤクザも絡んできます」

 2人の話を紐づけると、フィリピン人は郡山新地から送られて来たことが想像できる。島にフィリピン人が増えた理由には、郡山新地の壊滅と、暗躍するヤクザの手引きがあったのだろう。

“売春島”中心部の夜の様子(著者提供)

 前田さんが3回目に訪問したのは、さらに3年後の1994年ごろ。「日本人がいる」という情報がきっかけだった。

「噂を聞きつけて行ってみたら、本当に日本人がいて驚いた。20代から40代の日本人が3人、20代のタイ人が2人でした」

 当時、前田さんは娼婦たちに素性を尋ねたが、いずれも多くは語らなかった。本国の家族に送金するために島に来た出稼ぎフィリピン嬢、借金のカタに売られた日本人……さほどに過酷な境遇なのかと、そう慮るしかなかったという。