公然と売春が行われる“ヤバい島”として、タブー視されてきた三重県の離島・渡鹿野島。「売春島」と呼ばれているこの島の実態を描いたノンフィクションライター、高木瑞穂氏の『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社)が、9万部を超えるベストセラーとなっている。
その後も取材を続ける高木氏が、最盛期に訪れた経験のある客たちの視点で、渡鹿野島の当時の状況に迫った。(全2回の1回目。#2へ続く)
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『売春島』で描ききれなかったこと
拙著『売春島』の取材の際、僕には一つの心残りがあった。これまであまり語られてこなかった島の裏面史を紐解くことが本書執筆の主題であった分、島を訪れた客側の体験談についてあまり触れられなかったことだ。
僕が渡鹿野島を初めて訪れたのは2009年のこと。名古屋から近鉄志摩線に乗り鵜方駅で下車。ここから海に向かい15分ほど車を走らせると渡鹿野渡船場が見えてくる。ポンポン船に乗り継ぎ(小型客船)、ものの3分もすれば「売春島」に到着する。
そこで見たものは、スナックを隠れ蓑にした売春斡旋所である置屋だけでなく、ホテル、旅館、客引き、飲食店でもオンナを紹介・斡旋する現実だったが、一方で残された置屋が3軒、娼婦が20人しかいない“桃源郷”と呼ぶには程遠い寂れた実態だった。
まるで小さな新宿・歌舞伎町だった
「バブル期はプレイルームが足りず、自由恋愛を装うため女のコの部屋で売春するという建前を無視して、もうホテルの客室や置屋の奥でもやったりしてたわ。だから盆暮れや週末など繁忙期のメイン通りは、肩をぶつけずには歩けんほど人が溢れていた」
渡鹿野島の置屋でチーママをしていた女性は、かつての繁盛ぶりをこう証言する。島の黎明期から現在までを知る置屋のママも、次のように語る。